大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか

本人が批判と疑問に応える
阿部 幸大 プロフィール

インターネットは有効なのか

前回の記事で強調したにもかかわらず、「いまはインターネットがあるから事情は違う」という意見も多数見られた。

たしかにインターネットは田舎を救いうるかもしれない。だがインターネットがすでに田舎の問題を解決したかといえば、それは間違いなく否であり、近い将来に解決するかというと、それも否であると思われる。

この項目は「田舎者」というより「情報弱者」の問題になるが、再三述べているとおり問題は重層的であり、また田舎者は基本的には情報弱者であることを強いられているので(それが前回の趣旨だった)、共通の問題として話を進める。

前回の繰り返しになってしまうが、インターネットで自分に必要な情報を収集するというリテラシーは、かなり高度なものである。

私は前回の冒頭で、「ググる」習慣があること、余暇を文化活動に費やすこと、大卒という学歴を普通と感じること、この3つを文化と教育の指標として並列した。日本の全人口における大学進学者の割合は半数ほどだが――記憶してほしいが、大学に「進学」するだけで半分より上なのである――その大学進学者内の最上位層においてさえ、たとえググったところでウィキペディア以上の情報に辿り着く人は、そう多くないのである。

 

そして私は、必要な情報からさらに遠く隔てられた田舎の話をしている。田舎では地域格差を自覚すること自体が困難であるのに、その格差を自力で解消するためにインターネットを活用することができる人など、まれであるというか、ほとんど矛盾している。格差に気づくこと自体に高度なリテラシーが必要なのだから。

この比較も役立つかもしれない。たとえば、この記事をスマホやPCで読んでいるあなたは、日本からアメリカに留学するために、インターネットを使って必要かつ十分でしかも確実な情報を集めることができるだろうか? やってみるとわかるが、これはかなり困難である。だが田舎者が都会のことを調べるほうが、もっと難しい。

しかし、ほんとうに、たとえばPCを使ってメールで必要書類を添付して送るくらいのリテラシーは今や常識だと信じている人々が存在することには驚く。じっさいに教えるとわかるが、こんなことは東京の大学でさえ新入生の多くは慣れていない、かなり高度な作業である。

大学1年生に初等文法や四則演算を教えなおす行為を揶揄する投稿をしばしば見かけるが、私には大学生の学力低下よりも、それを笑える人々の認識の甘さが問題に思える。こうした認識を改める必要がない環境にしか身を置いたことがない人というのは、ふたたび前回のフレーズを用いれば、いやはや、なんという特権階級なのだろう。

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