当時の女房が明かす「小学6年の大谷翔平」

私が目撃した「怪物の目覚め」
週刊現代 プロフィール

18アウト中、17奪三振

成長のギアを一段とあげた大谷が、リトルの集大成となる「人生最高のピッチング」を見せる日は、すぐにやってきた。

'07年6月3日。中学1年生になった大谷は、リトルリーグ全国大会への出場がかかる東北大会の準決勝を迎えていた。対戦相手は、強豪の福島リトルだ。

 

「あの日、翔平は試合前からじっと押し黙っていて、ピリッとした緊張感が伝わってきました。あれだけ気迫を前面に出した翔平を見たことは、後にも先にもありません。

あの日の翔平のフォームはすごくダイナミックで、投球練習からストレートはゆうに120kmは出ていたし、スライダーのキレも抜群。『あ、これは打たれないな』と思いました」

実際、プレイボールが告げられると、大谷は先頭打者から9番まで、全員を三振に斬ってとった。

試合会場は福島県郡山市の開成山野球場。スタンドは地元である福島リトルへの応援で盛り上がっていたが、大谷が繰り広げる異次元の奪三振ショーに次第に静まり返り、誰もがかたずを飲んで見守っていた。

結局、大谷はリトルリーグの規定である6イニング18個のアウトのうち、17個を三振で奪うという一人舞台を演じて、7対1で完勝した。

「相手の4番が左打者だったのですが、試合後に訊いたら『外角の真っすぐだと思って振りにいったらスライダーで、えぐるように内角に入ってきて自分の足にボールが当たった』と言っていました。本当に、あの日の翔平は神がかっていた」

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晴れて全国大会出場を果たした水沢リトルだったが、惜しくも1回戦で東関東代表に競り負けた。

その後、中学1年生の夏から所属するシニアリーグでは、大谷と佐々木さんは別々のチームに進んだ。

「一度だけ、練習試合で翔平のチームと対戦したのですが、僕が翔平のストレートをまさかのホームランにしたんです。ダイヤモンドを一周する僕を、翔平はニヤニヤしながら睨んでいました。

でも、次の打席からは変化球しか投げてくれず、きっちり抑え込まれた。試合後に『打ってやったぞ』と言ったら、やっぱりニヤっとして『たまたまだよ、たまたま』って(笑)。かわいい奴だな、と思いました。

先日、翔平がメジャーで初めてのホームランを打ったとき、べンチでニコニコしているのを見て、全然変わってないな、と懐かしくなりました。あれだけ凄い舞台に身をおいても、翔平は野球少年のまんまなんです」

6年生のあの日、強靭な精神と卓越した修正力という武器を手に入れた野球少年は、今日も成長し続けている。

「週刊現代」2018年5月5日・12日合併号より

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