「英語を使っているとき、日本人は、一時的に頭が悪くなっている」
そう聞くと、たいがいの人は「そんなバカな」という顔をする。
「そりゃ、英語はうまく話せないし、相手が言っていることはよくわからないし、冷や汗をかくこともある。
だけど、頭がいいか悪いかは、人それぞれ決まっているのだから、英語を話しているときだけ頭が悪くなるなんて、そんなことがあるわけない」
だが、「頭が悪くなる」というのは、ほんとうの話なのである。そのことは、認知心理学の理論で説明することができるし、実験で証明することもできる。

英語が思考の邪魔をする
では、なぜ「頭が悪くなる」などということが起きるのだろうか?
それは、頭のなかで、言葉を使うための情報処理が、思考をするための情報処理を邪魔するからである。その邪魔が、日本語の場合より、英語の場合のほうがひどいのである(もちろん、日本語が母語で、英語が外国語、という場合の話だが)。
わたしたちは、人の話を聞いているときには、聞きながら、いろいろと考えている。自分が話すときにも、何を話すか、その場で考えながら話している。つまり、「言語の情報処理」と「思考の情報処理」を同時にやっている。
ここでいう「言語の情報処理」というのは、直接、言葉をあつかう情報処理のことである。
人の話を聞いている場合なら、その人の声を分析して、「あ」とか「い」とかいう音の単位を取りだす。そうした単位の組合せからできている単語を認識する。その単語が互いにどういう関係をもっているのか、文法的な解析をする――そういう情報処理である。
だが、わたしたちが人の話を聞いているときには、そうした「言語の情報処理」だけをやっているわけではない。聞いた言葉とは直接には関係のない、いろいろなことを考えている。
たとえば、友人の相談にのっているとき――話のなかに出てくる人がどういう人だったかを思い出したり、その人が友人とどういう関係にあったのかを思い出したりしなければならない。友人の表情から、その人に友人がどういう感情を抱いているのかを推察しなければならない。どういうアドバイスをすればいいかも考えなければならない。場合によっては、そのアドバイスをしたとき、自分が友人に「嫌な奴だ」と思われないだろうか、というようなことまで考えなければならない。
こういうことを、山ほど考えている。こうした考えは、「言語の情報処理」とはちがって、どれも、耳から入ってくる言葉そのものを直かに扱っているわけではない。これが、ここでいう「思考の情報処理」である。