英語を使うとき、あなたは頭が悪くなる〜「外国語副作用」という難題

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高野 陽太郎 プロフィール

「外国語副作用」とは何か?

この現象を、私は「外国語副作用」と呼んでいる。

外国語を使うことには、もちろん、望ましい主作用がある。外国人とコミュニケーションができることである。しかし、それには、「思考力が低下する」という副作用も伴うのである。

この「外国語副作用」、よく誤解されるので、いくつか但し書きをつけておくことにしよう。

まず、「外国語が難しいなどということは、だれもが知っていることで、あらためて指摘するほどのことではない」という誤解。

外国語副作用は、「外国語が難しい」ということではない。その難しい外国語を使っている最中には、いわば、そのしわ寄せで、「思考力が低下した状態になる」という現象なのである。

別の言いかたをすると、「外国語が難しい」というのは、外国語の場合には「言語の情報処理」が難しくなるということだが、外国語副作用は、「思考の情報処理」が難しくなる、という話なのである。

 

次に、「外国語を学ぶと頭が悪くなる」という誤解。

外国語副作用は、後遺症ではない。外国語を学んだからといって、ずっと「思考力が低下した状態」が続くわけではない。

じっさいに外国語を使っている、その最中にかぎって、一時的に「思考力が低下した状態」になるだけである。外国語を使っていないときの知能は影響を受けない。

最後に、「外国語を使うかぎり、思考力の低下は宿命だ」という誤解。

外国語副作用の原因は、外国語の練習量が少ないために、母語ほどには使いこなせないことである。練習を重ねて、母語と同じように使いこなせるようになれば、当然、外国語副作用は消えてなくなる。

ここで、あらためて、「外国語副作用」をきちんと定義しておくことにしよう。「外国語副作用」とは、「母語ほどには習熟していない他の言語を使用している最中には、一時的に思考力が低下した状態になる」という現象なのである。

「英語で考える」?

「外国語副作用が起こる」という今の説明に、「納得がいかない」と言う人もいる。「『考える』ということは、『頭のなかで言葉を話す』ことだ」と信じている人である。

よく、「日本語で考える」とか、「英語で考える」とか言う。

「日本語で考えて、それをいちいち英語に翻訳しているうちはまだまだで、はじめから英語で考えられるようにならなければ、ほんものの英語力がついたとはいえない」などという話も、よく聞く。

こうした話の根底にあるのが、「『考える』ということは、『頭のなかで言葉を話す』ことだ」という俗説である。

もし、これが本当なら、「言語」と「思考」は一体不可分だ、ということになる。そうすると、「言語の情報処理が思考の情報処理を邪魔する」などという話は、意味をなさなくなってしまう。そもそも、「言語の情報処理」と「思考の情報処理」は、同じことなのだから。

これでは、「外国語副作用が起こる」という説明に納得がいかないのも無理はない。

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