「銀行員がここまでダメになった」歴史的な理由
もはや生き残る道は2つしかないビジネスモデルの大転換
歴史からたどっていけば、銀行員という職業がなぜここまで厳しいものになったのかがよくわかる。順を追ってみていきたい。時計の針を今から30年ほど前まで戻してみよう。
1990年初頭から始まったバブル崩壊により、日本の銀行は、未曽有の不良債権を抱える事になった。
バブル崩壊から現在にいたるまでの道のり――それは、戦後、高度経済成長から続く日本の経済発展モデルの崩壊・終焉と、それに替わる、日本の新しい経済発展モデルが出現した歴史といえる。
銀行業界はこのモデルの変更がもっとも目に見える形で起こった業界の一つなのだ。
どういうことか。
バブル期までは、経済成長とリンクする形で、預金者からの預金を企業や人に貸し付け、その利ザヤが銀行の収益となる、いわゆる「間接金融モデル」により、銀行も成長・巨大化してきた。
ところが、バブルの崩壊により、貸し出す先がどんどん減ってしまった。数少なくなった貸出先には担保価値を大幅に超えた過剰融資が行われ、結果として「回収不能の貸付金」が巨額の規模の不良債権となってしまった。
日本のバブル崩壊で発生した不良債権は、約200兆円とも言われており、政府は約45兆円もの公的資金を投入したが、1997年には北海道拓殖銀行や山一証券、1998年には日本長期信用銀行をはじめとする多くの金融機関が破綻し、日本の経済モデルの転換とともに日本の銀行・金融機関もビジネスモデルの転換を迫られることになった。
金融ビッグバンが引き金に
そこにもうひとつの要素が加わる。
日本の金融制度大改革、いわゆる日本版金融ビッグバンによって、従来の護送船団方式から銀行・金融機関が競争原理にさらされるようになった。
その一環が、投資信託の窓口販売の導入(1998年12月から解禁)であり、2002年以降には、銀行業・保険業・証券の各代理業解禁だったのである。これらの措置により、銀行も投資信託の販売や証券仲介業務ができるようになり、直接金融業務が可能となった。
さて――、前述したとおり、日本の経済環境は「失われた10年・20年」の状態が続いており、ゼロ金利政策が維持される中で、銀行は預金を貸し出して利ザヤを取る業務、つまり間接金融による業務では収益が上がらなくなってしまった。
ゼロ金利政策から現在に続くマイナス金利政策によって、ますますこの貸出業務収益の縮小に拍車をかけた。
そこで、銀行側が新たな「稼ぐ手段」として目を付けたのが、この投資信託の窓口販売や金融証券仲介業務だったのだ。