うんざりする現実と、道なき道を切り拓く勇気
――『WIRED』は「テクノロジーで世界を変えていく、より良くしていく」というテーゼを持つメディアですよね。
でも、この本を読んだらわかるんですが、若林さんは編集長としてその中心にいる人間でありながら、そのテーゼに対しては最もアウトサイダー側の人間だったと思うんです。
はい。
――それは、あえて戦略的にそう振舞ってきたのか、そうせざるを得なかったのか。そのあたりはどうでしょうか。
やっぱり、編集長とかいうポジションとなると、それなりに時間をかけてコミットするものなので、イヤな事柄やイヤな人間と付き合っていてもいずれツラくなるんですよ。
自分には、テクノロジーというものに対しての、ある種の懐疑がある。とはいえ、『WIRED』はそれをポジティブに扱わないといけないというテーゼを持ったメディアである。だから、どこにポジティブさがあるのかをずっと探さなきゃいけなかったんです。
そうすると、「なるほど、話のわかる人はこういうところにいるんだ」とか、「こういう観点で見ればテクノロジーというのは確かにいいものかもしれない」とか、「こういう人がこういうやり方でやるものは確かにイノベーティブだよな」とか、ポジティブなことを発見していくプロセスになる。
なので、懐疑的な視点を持ちながら一生懸命仲間になれそうな人たちを探していた感じですね。そうすると、自然といろんな人たちが集まってくるんですよ。
問題意識を持った人ときちんとコミュニケーションしながらやっていくと、それなりにいいものが作れる。自分を裏切らないところで一緒にやれる地点が見つかる。ただ、それには結構時間がかかりました。

――「仲間になれそうな人たちを探していた」と仰いましたが、若林さんが「仲間になれた」と感じた象徴的な人は?
象徴的という意味では、やっぱり本の帯にもコメントを寄せてくれたtofubeatsくんでしょうね。彼に出会って「あ、こういうところに、こういういい若者がいるんだな」って感じたし。
――tofubeatsさんには、どのタイミングでどういう風に出会ったんでしょうか。
2013年くらいに、一緒にイベントに出たんです。
それまでtofubeatsという名前は知っていたんですけれど、そこまで興味は持ってなかったんですが、会ったらお互いに興味持てるところがあって。
彼は地元の神戸にいたときから居場所のない感じ、あてどない感じがずっとあって、なかなかいい形で味方になってくれる人がいなかったというんですね。搾取しようと身構えている大人たちばかりが周りにいたという感じなんだと思うんですが。
旧来のエスタブリッシュメントは、いまとなっては、若い子に「頑張れ」と言いながら、その芽が出たら搾取しようと待ち構えるだけになっている、そういう非常にさもしい状態になっていて。
彼はずっとそういう状況と、「これはおかしいでしょ」ってスタンスを崩さずに向き合いながら、その中で、一生懸命いろんなことを考えながらキャリアを作り上げてきたわけです。
それを誰もちゃんと応援してあげないのは悲しいことだし、こういう人の味方になれないんだったら、メディアなんてやっている意味ないじゃないですか。
――tofubeatsさんは帯に「未来にさよならしよう。希望とともに。道を切り拓こうとする全ての人へ」というコメントを書かれています。
この『さよなら未来』という本をエモーショナルに評するならば、いわば、うんざりする現実と、道なき道を切り拓く勇気について書かれた本だと思うんですね。そして若林さんはtofubeatsという人をその両方に直面している人間と見ている。
そうですね。そうなんだろうと思います。