「音楽がわからないやつは世の中のことがわからない」と僕は思う

道を切り拓こうとするすべての人へ
柴 那典 プロフィール

音楽を軸に社会を理解していった

――若林さん自身、少年時代まで振り返って、自分が惹かれていたものや追いかけていたものはテクノロジーでしたか。それとも何か別のものでしたか。

それは、もう、一にも二にも音楽です。子どもの頃から音楽が好きで、アニソンのミックステープなんかつくったりしてましたし(笑)。

小学校のときは、同じくらいスポーツが好きだったので、プロ野球の記録や歴史的名場面について書かれた本なんかをよく読んでいたんですけれど、なかでも高校野球がすごく好きで、春と夏の甲子園大会が終わると『アサヒグラフ』が出す総集編を毎回買ってましたね。

いつだかの甲子園に東洋大姫路って高校が出てて、そこでサードを守っていた、たしか田中という選手がいまして、その選手がほんとにカッコよくて応援してたんですが、その彼がある試合でホームスチールを決めたんです。

で、もうこれは大会屈指の名シーンだとめちゃくちゃ興奮したんですが、その後に出た『アサヒグラフ』に、そのシーンが一切触れられてなくて、「なんなんだ、この編集は!」と憤慨した思い出があるんですよね(笑)。

今から思えば、それが、自分にとってのエディトリアルというものの原体験かもしれない。後づけですけど(笑)。

とはいえ、スポーツは、自分の人生のなかではそれ以上は、あんまり大きな居場所を得るにはいたらず、代わりに音楽が大きくなっていき、中学時代からあとはもうずっと音楽ですね。

――若林さんが書く文章も、常に音楽というモチーフが大きなものであり続けています。それは何故でしょうか。

音楽は小学校や中学時代からずっと継続している興味で、そこを軸に僕は僕なりに社会というものを理解していった感覚がある。自分としては、そのスコープがなかったとしたら語れるものはなにもないというくらいの感じがします。

そういうものだと思っているし、音楽好きにありがちなドグマですが、「音楽がわからないやつは世の中のことがわからない」と普通に思っていたりいます。

 

――この本でも、音楽がどう社会と接点を持っているかという視点がとても重要なものになっています。

世の中で起きる変化というものは、特にデジタル以降のテクノロジーの分野においては、音楽が最初に直撃するんです。なので、そこを見ておくと、だいたい何が起こるかわかる。炭鉱のカナリヤのようなものですよね。

もう少し世の中の人は音楽業界で起こっていることが何なのかというのを見ておけばいいのになとは思います。

――まったく同意です。

音楽を出版や映画が後追いして、その後にものすごく遅れて重工業や他の業界で同じことが起こっていく。だから、時代の試金石として音楽を見るべきなんです。

内容的な面においても、相変わらず音楽は一番ヴィヴィッドに時代の空気感を反映している。

特にアメリカを見ていると、メジャーなレイヤーにおいてすら、かなりジャーナリスティックに時代の姿を映しているわけなので、そこにコミットしてないのってなんか、時代に関わってない感じがして面白くないんじゃないかって思うんですけどね。

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