右半身麻痺でも弾き続ける「左手だけの81歳ピアニスト」

歌い続けた西城秀樹のように

2002年に脳溢血で倒れ、右半身が不自由になったピアニストの舘野泉さん。2年後、「左手のピアニスト」としてデビュー。以来、世界中で活躍し81歳の今も年に50回のステージに立つ。背景にあるのは困難克服の物語ではなく、新しい音楽を追い求める現役ピアニストの日常だ。脳梗塞の後遺症で思うように動けなくても歌が支えとなった西城秀樹さんの生き方とも重なる。ジャーナリストのなかのかおりさんが、舘野さんの超前向き思考を紹介する。

 

一歩一歩踏みしめながら舞台に

5月24日の夜。私は東京・銀座のヤマハホールで開かれた舘野泉さんの演奏会に伺った。舘野さんは不自由な右半身を傾けながらも、介助なしで一歩一歩を踏みしめながら舞台に登場。それだけで客席から拍手がわき起こる。椅子に座ると、左手だけで力強く弾き始めた。

5月24日に行われたヤマハホールでのコンサート ©Ayumi Kakamu  

池辺晋一郎さんが舘野さんのために作った曲は、低い音から高い音まで鍵盤を駆け回る。私は正直、左手でこんなに奏でられるとは想像していなかった。1曲目を弾き終わると、舘野さんはほっとした笑顔を見せ、自らマイクを握ってお客さんに語りかけた。

「今日はホールに3時ぐらいに着いて、6時前まで弾いていました。ここは音響がよくて、とても気持ちがよくて。『あれ、なんかおかしいな』と考えたら、朝から何も食べていなかった。差し入れの、たい焼きをいただきました」

舘野さんの飾らないトークに、どっと笑いが起きて会場が和やかな空気に。演奏に入ると、曲ごとに違う世界が広がった。アイスランドの自然を描いた曲は、美しい旋律で情景が浮かぶ。イスラエルのビオラ奏者との演奏は、年下の音楽家を支えるように息を合わせて。客席で目を閉じていると、左手だけで弾いているとは思えない。

この日はジャズピアニスト・谷川賢作さんが作った、ビオラと左手のための曲を初演。賢作さんと父親の詩人・谷川俊太郎さんも会場に駆けつけた。賢作さんは「リハーサルでは少し穏やかな感じだったので、ラフ&ルーズに弾いてくださいとお話しました。舘野さんはいろいろなジャンルに挑戦してくれるので嬉しい」と語った。

演奏が終わると拍手は鳴りやまず、そのたびに舘野さんはゆっくり歩いてステージに登場。アンコールを2曲弾き、カーテンコールにも答えて何往復もしていた。

65歳の時、舞台で倒れた

舘野さんは東京藝術大を卒業後、憧れからフィンランドに移り住んで50年以上になる。現地の歌手マリアさんと結婚して2人の子に恵まれた。人生はピアノと共にあって倒れる日まで45年、世界中で演奏していた。自分の気持ちに従って生き、学歴や自分を大きく見せることに興味はなく、藝大教師の職も断ったという。

2002年、フィンランドのホールで演奏中、右手が動かなくなって何とか弾き終え、歩き出したところ舞台で倒れた。脳溢血で右半身が不自由になったが2年後、左手のピアニストとして活動を再開。舘野さんに捧げられた左手のための作品は、10カ国の作曲家が手がけて100曲もある。

現在は年に2回、日本に戻って全国で演奏する。ヤマハでの演奏会の前に、インタビューの機会をいただいた。

関連記事