日本から「児童虐待」が絶対なくならない理由といま必要な10の対策

結愛ちゃんと家族が求めていたもの
井戸 まさえ プロフィール

是枝監督は、自身の体験として、父が死に、自分に子どもができ「父」のポジション、役割を自分が担うことでしか、家族の中での自分の立ち位置が、役割が先へ進まなくなったとも吐露している。

自分の中に全く父性なんてないと思っていたが、子どもが生まれたらそんなこと言ってる場合じゃなくなり、父性があるなしの問題ではなく「そう振る舞わないといけなくなる」。別に自分の中の父性を探さなくても、子に手を引っ張られれば出てくるものだと。

それは「血縁」があるから、あると信じているから、なのだろうか。

血がつながらない子どもと自他ともに自覚し、それでも「父」として育てる葛藤。手を引っ張られても出てこなかったならば「父」としての振る舞いを単純化し先鋭化させて表さねばならない。それが暴力、虐待として暴走したとしても。

妻であり、母である船戸優里被告も、彼の葛藤に寄り添ったとは言えないだろう。前述の杉山氏の指摘通り、「父」として否定されることへの反証は小さな子どもを傷つけ、謝罪や懇願を得ることで得られないものだったのかと思うと胸が痛む。

 

家族と社会との接点は「仕事・職場」

結愛ちゃんとこの家族を救うために何ができたのであろうか。

あらためて考える。

政治の現場で出る施策に欠けているのは「雇用」という視点である。

報道でもある通り、船戸雄大容疑者は以前は仕事ぶりも認められ、退職時には慰留される人材でもあった。しかし、事件前後は失業中であった。

是枝監督の最新作『万引き家族』でも描かれたように、行政ともつながりたがらない複雑で深刻な問題を抱えた家族と社会との接点は「仕事」であり「職場」である。

必然的にそれぞれが抱えた「事情」は見え隠れすると同時に、何より経済的な自立は親自身の自己肯定にもつながる。

小さな子どもを抱えた家族が暮らしていくに十分な収入を仕事から得ていくことはとても大事であると思うし、ある程度の将来見通しが得られるか否かで、子育てに向き合う上での精神的な余裕は全く違う。

雇用のマッチングは難しい。しかし、児童手当や就学費援助といった子育て支援策に留まるのではなく、雇用の観点からも子育て中の失業家庭等についてのインセンティブを持たせる他の雇用施策は打てないものだろうか。

船戸雄大容疑者が香川県からの引っ越し先に東京都を選んだのは、東京で大学生活を送っていて土地勘もあったという報道がなされていた。

東京に行けばなんとかなると思っていたかもしれない。しかし、自分の不遇は改善されず、職もなく、明日が見えない暮らしを続けることは、理不尽だと思っていたに違いない。

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