米国NCAAは日本の「体育会系」を変えることができるのか?

日米「大学スポーツ」こんなに違う
田丸 尚稔 プロフィール

Athletic Departmentの収入も膨大な額に上る。FSUの公式レポートによれば2017-18年度はトータルでおよそ120億円。主な収入源はACCからの配当(主にレギュラーシーズンのTV放映権など)でおよそ33億円、チケットセールスが次いで30億円、そして卒業生からの寄付金が24億円を超える。

日本版NCAAの設置を起点に大学スポーツの構造を整えれば、このような収入も実現するのでは、という期待も高まるだろうが、実際の金の動きを見れば簡単には踏襲できないことも理解できるはずだ。

 

まず、米国の大学スポーツの人気=アメリカンフットボールと断言していい。FSUの場合もチケットセールスの約8割はアメリカンフットボールが稼ぎ出している。テレビの放映権にしても、ほとんどがアメリカンフットボールに関するものだ。

同競技ではないにせよ、日本の大学スポーツで同様の人気を誇るキラーコンテンツはあるのか? 駅伝は年に1回の開催で放映権料が発生しない現状を変えることができるかは疑問だ。六大学野球はどうだろう? 

FSUのフットボールは1試合で10万人の観客を集めることを考えれば、スタジアムの規模も含め実現するのは現実的ではない。そして、莫大な金額を集める寄付文化は日本にあるのか? 超えるべき壁は高く、米国と同じ道を歩めば良いという単純な答えは適用されない。

しかし、繰り返すが、NCAAの本来の意義や、Athletic Departmentの役割を考えれば、参考にすべき点は非常に多い。学生スポーツの本来の目的を徹底し、大学内で各運動部が独立して運営を行うのではなく、統括機関としてのAthletic Departmentが存在していることで、一部のヘッドコーチの権限が不透明に大きくなることもなく、生徒の健康や安全を客観的に注視し、外部組織との連携などをエキスパートとして図っていくことができれば、たとえば一連のアメリカンフットボールの事件を防げたかもしれない。

Student-Athleteという考え方

米国では大学のスポーツ特待生をStudent-Athleteと呼んでいる。Athlete-Studentの順でもないし、Athleteでもない。つまり、生徒であることが最も重要で文武両道が当然求められるのがスポーツ特待生ということになる。

その考え方に基づき、NCAAはスポーツ特待生になる生徒には様々な条件(NCAA Eligibility)を設定し、管理している。たとえばどんなに競技力が高くても、然るべき成績を出せなかった場合は練習や遠征に参加できなくなるので、大学はスポーツ特待生の勉強をサポートする専門のチームを持っているところも少なくない。

著者の所属するIMGアカデミーで授業を受ける生徒たち(写真:著者提供)

そして何と言っても、スポーツ特待生として特にD-1やD-2に入学するためには、9年生~12年生(日本の中学3年生から高校3年生に相当)の4年間で然るべき単位を取得し、一定よりも高い成績を収めて卒業し、SATやACTといった共通テストの一定のスコアを超えない限りは入学を認めないという厳しい条件を課していることがポイントだ。

つまり、大学のトップアスリートを目指すなら、中学3年生の時点でスポーツだけでなく勉学についても高い意識を持たなければ遅れをとる、というわけだ。

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