IMGアカデミー創設者の提言
数年前に、IMGアカデミーの創設者であるニック・ボロテリーがテニスクリニックを開催するために日本全国を行脚している時だった。“錦織圭を育てたアカデミー”という触れ込みで集まった家族や子供たちに対して、ニックの口から最初に出た言葉は会場を大いにザワつかせた。
「まず、みなさんに伝えたいのは“錦織圭にはなるな”ということです」
集まった人々をゆっくり見回して、ニックは続けた。
「彼が素晴らしい選手であることは間違いありません。ただ、ここにいる子供たちは一人ひとり違う個性を持っています。ケイを見る前に、自分自身のこと、自分の子供たちのことをしっかりと見てあげてください」

一人ひとりがそれぞれの個性を持っているという、ふんわりとした綺麗事を言っているわけでもない。スポーツの場合は、それぞれの特徴を見誤ると怪我をするリスクもあったりする。
ニックは旅の終わりに、日本での錦織圭の人気とテニスをする子供と家族たちの熱心さに感心しながら、同時に危機感を持ってこんなことを言っていた。
「それぞれが成長の速度も異なるし、たとえば筋肉の付き方も違う。ケイのような打ち方は本当に素晴らしい。回り込んで打つフォアハンドは強力で、ベースラインの内側から地面を蹴って、肩の高さかそれ以上から打ち込むことで相手に良いポジションに入る時間を与えないのは大きな武器になる。
ただ、それを他の誰かが真似するのはとても難しい。彼のジュニア時代から培ったセンスが重要だったり、下手をしたら怪我をしたりする選手も出てくる。日本でテニスの雑誌を見たら、みんなケイのフォームばかり扱っていて、それがすべての読者に対して正解のように示されているから、とても心配になったよ」
親や指導者に必要な「力」とは?
子供たちに対して、親や指導者が持つべき一番大切なことは何か、とニックに尋ねたことがある。答えは「見る力」だった。だから、日本のイベントでも “子供たちをしっかりと見てほしい”と幾度となく訴えていた。
普段からコーチたちに求めるのも、自身の経歴やテニスの実力ではなく、選手たちの個性を見極める力をつけることだ。10人いれば、10通りの正解を一緒に探してあげること。それが、指導者に不可欠な能力というわけだ。
ニック自身のテニス選手としての経歴は、大学時代に1年間プレーしていた程度。プロ選手としてはおろか、高校時代はアメフトのクオーターバックで、テニスを本格的にやったことがなかった。
それでもアンドレ・アガシやマリア・シャラポワなど世界ナンバーワンを10人も育て、コーチとしては初となる国際テニス連盟の殿堂入りを果たしたのは、彼が言う「見る力」に秀でていることが指導者にもっとも大事であることの証左だろう。
IMGアカデミーのテニスプログラムはコーチ一人に対して選手は4人という少人数制になっている。一人ひとりの個性を引き出すには、コーチに対する生徒の人数がそれ以上になるとトレーニグの精度が低くなってしまうからだ。
スポーツ競技のコーチ以外にもストレングスコーチやアスレチックトレーナー、メンタルコンディショニングコーチ、それから栄養士など各分野のエキスパートたちが数多く在籍していて、いろいろな角度から選手個人に合わせたトレーニングを組み、怪我のリスクも減らしながら成長できるのがIMGアカデミーから良い選手が育つ大きな理由でもある。
スポーツだけでなく勉強も同様で、学校の授業も少人数制になっている。東京ドーム約50個分にも及ぶキャンパスなら、教室の広さも余裕を持って作ることは容易いはずだが、実際には1クラスに10名前後しか入らない。机の並べ方も様々で“コの字”にしたり、数人のグループで分けたり、皆の顔が見え、議論も活発に行われる。
授業時間以外でもオフィス・アワーを設け、生徒が個別に相談する機会も多くなるので、教師が個々人を「見る」ことができる仕組みになっている。