しゃべれるほうが、変
レストランで注文をする。取引先に電話をかける。自分のアイディアをプレゼンする。私たちは日々、さまざまな「しゃべる」場面に出くわしています。
でも、しゃべるってそんなに当たり前の行為なんだろうか?
子供の頃から吃音を抱えていた私は、しゃべるという行為の不思議について、日々考えさせられる人生を送ってきました。
なぜ自己紹介で自分の名前につまってしまうのか?
なぜ大勢を前にプレゼンするときは問題ないのに、電話だと言葉が出にくくなるのか?
なぜ歌うときはどもらないのに、音読では体が締め付けられるように苦しいのか?
文/伊藤亜紗 イラストレーション/三好愛
実はメジャーな障害
現在の私は、日常的なコミュニケーションには支障がない程度の、軽度の吃音持ちです。それでも言葉を出すためにさまざまな工夫が必要ですし、アワアワする自分に途方にくれたりすることもしばしば。
吃音というのは、実はかなりメジャーな障害です。子供では20人に1人が、成人でも100人に1人が吃音を持っているという統計が出ています。
有名人で言えば、マリリン・モンローや田中角栄もそう。ジョージ六世の吃音は『英国王のスピーチ』として映画化されていますし、90年代にプッチンプリンのCMで人気を博したスキャットマン・ジョンも、吃音を生かしてあの高速スキャットを生み出しました。

「連発」はバグ、「難発」はフリーズ
吃音にはいくつかの代表的な症状があります。
まずは、連発。
「たまご」と言おうとして、「たたたたまご」となってしまう場合のように、同じ音を繰り返し発してしまう症状です。
言葉を出すためには、発声器官をコンマ秒単位で変形させなければなりません。連発時は、たとえば「た」を出すためのポジションから、「ま」を出すためのポジションへの移行がうまくいかず、「た」でアイドリングが生じていると考えられます。
連発は見た目には目立ちますが、本人の感覚としては、必ずしも苦しさはありません。体のタガがはずれて、自動走行しているような状態だからです。
幼少期の症状は基本的に「連発」です。自動走行なので、覚えていない人も多い。ところが多くの子供が、成長するにつれて、連発することを恥ずかしいと感じるようになります。すると生じるのが、次の「難発」という症状です。
難発とは「……たまご」のように、最初の音が言おうとしても出ない症状です。連発を避けようとして体が緊張して硬くなり、息そのものが止まってしまう。言葉が体によって拒絶される、本人にとっても苦しい状態です。連発が「バグ」だとすれば、難発は「フリーズ」に相当します。