「シャンプーをじっと待つ」ことに価値はない
2016年後半から本格化した「宅配クライシス」に、業界は宅配料金の値上げと、取扱量規制で対応しようとしている。しかし、これらが根本的解決にならないのは明らかだ。
国土交通省の試算では、現在年間約40億個の宅配取扱い個数は、2025年には約70億個に達する。また、宅配ドライバーの不足数も、現在の約8万人から2025年には約12万人に増加する。このままでは、どう考えても捌ききれない。
そもそも「宅配クライシス」の本質は、急増するネット通販に対して、宅配という古いビジネスモデルがついていけなくなったことにある。もはや、「日本の宅配システムは世界一」という幻想を捨てるべき時期が来ている。
スマホを使って、たった1、2分で、何でも用事を済ませられるようになった現代。ネットで注文した商品が家に届くのを何時間も待つのは、大きな苦痛となってしまった。
親しい人からの贈り物や、価値ある商品が届くのならいい。しかし、アマゾンで注文したシャンプーの詰め替えパックをじっと待つことに、どれだけの意味があるのか?と消費者は考え始めている。
再配達問題は、「大して価値のないものが、いかに多く宅配されているか」という現実を浮き彫りにした。「注文したなら家で待って受け取るべき」という道徳論を持ち出すのは、資本主義国の日本においては生産的ではない。消費者にとってムダな時間をいかになくすかという観点から、宅配会社はビジネスモデルを大転換しなくてはならない。
ビジネスのカギ「同時性」とは何か
筆者は、これを「同時性」の問題であると考える。
「同時性」とは、同じ場所、同じ時間を、第三者と共有することだ。宅配の受け取りは、宅配ドライバーと消費者が「家の玄関という同じ場所に」「同じ時間に」いなければ成り立たない、典型的な「同時性」のある行為といえる(詳細は拙著『宅配がなくなる日 同時性解消の社会論』を参照いただきたい)。
人にはみな1日24時間という時間的制約があり、「時間当たりの生産性・満足度をいかに引き上げるか」という潜在的欲求から逃れられない。優先度の低い相手との「同時性」を減らし、優先度の高い相手との「同時性」を増やすインセンティブを、どうしても持っているのだ。
大事な人とは直接会ってミーティングする。難しければ、電話で話す。そうでもない人とはメールで済ませる。大切にしているパートナーとは直接会話する。そうでもない人とはLINEで済ます…。そうして人は無意識に「同時性」を基準として、優先順位を決め、異なる行動パターンをとる。別にこれは非難されるべきことではなく、時間の制約の中で、人は合理的に動くということだ。
本当に大切なものが届くのでもないかぎり、宅配ドライバーと消費者の「同時性」は必要ない。特に、取扱いが急増している日用品や消耗品では、まったく不必要だ。

宅配の受け取り行為における「同時性」をなくすとは、言い換えれば、「受け取りのセルフサービス化」である。我が国が世界に誇る自動販売機がそうであるように、対面ビジネスの「同時性」を解消することは、ビジネスのみならず社会的問題の解決にもつながる。