オウム麻原彰晃「遺骨騒動」のナゾ〜宗教学者・島田裕巳が徹底解説

宗教の生命力とは何か
島田 裕巳 プロフィール

骨が遺ればオウムも残るが

地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教の数々の犯罪が明らかになっていったとき、日本の仏教界はオウムは仏教ではない、あるいは宗教ではないと、それを斬り捨てた。人殺しをするような宗教はあり得ないし、不殺生を説く仏教の教えに反しているというわけだ。

しかし、宗教の名のもとに数々の犯罪や殺人が行われたのも事実である。既存の仏教宗派からすれば、オウムの教えは自分たちの教えとはかけ離れたようにも見えたかもしれない。

だが、オウムはチベット密教とヨーガ、それにテーラワーダ・ブディズムの出家主義を掛け合わせたハイブリットな仏教であり、時代に先駆けた新たな方向性を打ち出していた面がある。そのことは、その後、日本でもテーラワーダ・ブディズムが流行したところに示されている。

 

私は、事件後に、麻原が行ったすべての説法に目を通したことがあった。彼は精力的に説法を行っており、その量は膨大だった。その教えをどう評価するかは難しいところがあるが、それが多くの若者を引きつけたことは間違いない。

しかも、オウムでは、特異な修行の方法が確立されていた。それは、ヨーガを基盤として、修行者の性的なエネルギーを活用し、解脱へと導くためのものだった。教え以上に、この修行方法は信者を魅了した。

教えがあり、修行の方法が確立している。そこに、教祖であり、グルとされる麻原の遺骨が加わったとしたら、それは教団が勢力を拡大する上で強力な武器になる。

死刑執行の直前、当局は、麻原らの死刑を執行するにあたって、とくに麻原の遺体、ないしは遺骨の引取先について慎重に検討しているという情報も伝わってきた。その懸念は現実のものとなっているのかもしれない。

四女の代理人である弁護士は、麻原の遺骨を海に撒くことで、聖地が生まれることを防止すると宣言した。しかし、墓はなくても、海全体が神聖なものとして信仰の対象になることも考えられる。

私はかつて、自然葬(散骨)を推し進めてきた「葬送の自由をすすめる会」の会長をつとめていたが、自然葬はかなりデリケートなもので、麻原の散骨を引き受ける業者が現れるとは思えない。そこでも、散骨は壁にぶつかるのではないだろうか。

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