恨みのすり替え
地下鉄サリン事件の15年後。
2010年に私はトークライブのゲストに上祐史浩氏を呼んだ。
上祐氏は早稲田大学を出たあとに宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に就職したがオウム真理教に入信。地下鉄サリン事件後、麻原の指示の下、教団のスポークスマンとなり「ああいえば上祐」として知らぬ者がいない存在となった。その後、偽証罪で逮捕され、約4年間服役する。新団体「ひかりの輪」の代表を務めていた。
私が上祐氏を呼んだのはおもしろ主義ではない。
「あの上祐がオウムを脱会し、現在は麻原彰晃を批判している」との噂を聞き、耳を疑ったからだ。
それなら直接本人に問うてみたい。長年にわたる自分の答え合わせの機会をつくった。
私が一番訪ねたかったこと。それは(先述した)学生の頃に見た『朝まで生テレビ』でのある人の言葉だ。
映画監督の大島渚が「普通の宗教は子どもと引き離された親に対して、一筋の涙を流すものは持っている。だけどオウムにはそれが無いんだ」と指摘していたのだ。これがずっと心に残っていた。オウムのおかしさを私はその言葉に集約して感じていた。番組内では大島監督の指摘を上祐氏は否定していた。
しかしそれから15年たって大島監督の言葉をもういちど私がぶつけると上祐氏はそれを認め、麻原の親への恨みが世間へとつながったと答えた。麻原批判というより、ようやく「白状した」感じを私は得た。

麻原の巧妙な「恨みのすり替え」に若者たちは利用され、世間に刃を向けた。若者も妙な選民思想も抱いたのだろう。こんな世の中はやっちまえ、と。
「自分の信じるものは正しい」「なぜ世間はわかってくれない?」という純粋さが傲慢に変貌し、彼らはサリンをまいた。
果たしてオウムはあの時代だけの特異なものなのか。
死刑執行の翌日、『日経新聞』は『「オウム的なもの」今なお 排他的主張、社会の不満吸収』と報じた(7月7日)。
《元代表らの死刑執行で平成の初期を揺るがした事件は区切りを迎えはした。しかし、排他的で独善的な主張を振りかざし、現状への不満を募らせる層を反社会的行為へといざなう事態が起きる恐れは消えていない。》
《信じられる確かなものを見いだすことが難しい社会において、排他的で独善的な主張は現状に満たされない人々を招き寄せ、誘い込む。時が流れ、社会のありようが変わっても、「オウム的なもの」への警戒を忘れてはならないだろう。》
排他的で独善的な言葉のぶつけ合いはむしろ強まっている。
オウムを知らない若い皆さんには是非知ってほしい。決してそれは、過去のものではないのです。