「カレー」と「オンラインサロン」と「スポーツ留学」の共通点

“コミュニティ”とは何か【前編】

時代は“コミュニティ”を求めている

本題に入る前に、井戸の例え話をしてみる。

井戸は、当然だけれど、それぞれ違った場所に掘られる。大きさもたかが知れているし、その井戸を使う人は限られるだろう。とても個別的なものだ。

井戸を掘り進み、深さが増せば、光が届く範囲も限られ、あたりの声や音も聞こえなくなっていく。

しかし、それでもなお奥に掘り進めば、やがてたどり着くのが水脈だ。孤独に感じた井戸は、実は地中の奥底で脈々と広がる水へと至り、“世界”と繋がっている。

 

今回の話は、カレーとオンラインサロンとスポーツ留学について。点在する井戸のようにてんでバラバラで、表向きの共通項はない印象だが実は深層で繋がっている。その鍵になるのが“コミュニティ”だ。

最近は“コミュニティ”という言葉をあちこちで見聞きする。先に挙げたオンラインサロンは盛況で様々なコミュニティがネット上で立ち上がっているし、個人の投稿に行き(あるいは息)詰まりを感じさせていたFacebookはコミュニティに向けたグループ機能を充実させ、これまでとは違った利用の仕方が増えている(例えばオンラインサロンでも、会員だけがアクセスできるFacebookのページ機能を利用しているところがとても多い)。

それ以外でも、仮想通貨にも利用されているブロックチェーンという技術は、注目されている金融システムへの利用はほんの一部の使い方であって、より社会にインパクトをもたらすサービスが増えるだろうし、コミュニティ運用に大きく寄与する技術的な親和性は非常に高い。

働き方や学び方、はたまた家族のあり方の変革が進む中、会社や学校、地域といった形式ではない、次世代のコミュニティを求める気運がいよいよ定着し、それを実際に形にすることができるテクノロジーが整ってきた現在、コミュニティについて深く考えることが我々のライフスタイルやビジネスの未来を作るには必要不可欠になるだろう。

では、そもそも時代はなぜコミュニティを求めるのか。ここでは、その理由を語るよりも、こちらの良書を読むことをオススメしたい。

『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』 佐渡島庸平・著/NewsPicks Book)

著者は数々の大ヒット漫画を担当してきた編集者で、自身の個人的に経験した“孤独”をある種の弱さも含めてさらけ出し(オフィスに所属する漫画家が著者の日常を描いた“観察エッセイ”なども掲載しながら客観的に自分というもの出したり、と構成が面白い)、「コルクラボ」という実際に運営するコミュニティの具体的な事例なども踏まえながら、現代の孤独の在り方と、人々が求めるコミュニティ(求める、というよりも、もはや社会にとって必須でコミュニティ形成は止められない流れ、と言った方がいい)について紐解きつつ、精神的な充足のためだけでなく経済圏が循環するための装置としてコミュニティの必要性を語っている。

もう一つ、この本の面白い点は“未完成”であることを積極的に受け入れている姿勢だ。これは本の内容というだけではなく、作り方や在り方もそうであることが興味深い。

私も編集者として書籍を担当していたが、本は“完成品”として作られるのが一般的だ。著者の主張があり、それを集大成として(書き下ろしでも、ブログや過去発言でも)まとめ、完全なパッケージとして規定の流通システムに則って読者に届ける。

しかし本書では、「読み直すともっと補足説明が欲しいと感じるところも多かった。でも、あえて補足しない。」と記されているように、内容が未完成であることを受け入れる。

著者は“アップデート主義”と表しているが、1回で理解を完結させることもよりも、変態し、補完されていくことで真理へと近づいていくことが今取るべき態度なのだろうし、それを本というメディアを使って実験的に行なっているとも思える。

そして本書で扱う“コミュニティ”というテーマこそが、まさに動的な生命体の集合であり、現時点で到底完結できるものではないのも大きな要因でもあることも間違いない。

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