医師不要論の是非
さて、以上の推論が正しいとすれば、現状の医師養成のシステムで学ぶことのほとんどは、AIによって代替可能だということになりはしないか。
実際、医師の職務の多くを占める診察・診断は、AIの得意分野だ。検査結果のデータを、膨大な過去の医療データと照合し、統計的に処理をして診断を下す。下手な医者より、確実で安全な結論を下すことができるだろう。
AIと看護師がいれば、医療現場の大半は稼働するような将来が出現するかもしれない。エコノミストの中原圭介氏は、AIを搭載するロボットを使った臨床実験が進み、医師の仕事の8割ほどを代替できることが明らかになったと指摘している。
AIが医師の仕事の多くを代替できるということになれば、医師は、将来は不要になるのではないか。すくなくとも、医師の地位も役割も、大きく低下してしまうのではないか。こんな疑問、いわゆる、「医師不要論」が出てくるのも無理はない。
しかし、私は、それでもやはり、人間の医師は必要であり、医療において中心的な役割を担い続けると考える。
AIは感情を持たず、「意味の理解」ができないからである。AIが行っているのは計算と統計処理だけである。

AIが言葉を理解しているようにみえるのは、利用できるデータが飛躍的に、天文学的規模で増えていることと(ビッグデータの集積)、コンピューターの処理スピード(ハードウェアの性能)が上がったことにより、精度が高くなり、あたかも、意味が分かっているかのように感じるだけである。
AIが、人間の能力を超えたとしても、それは、人間の知性・悟性・感情・感覚、すべての心の機能をAIが代替できるということにはならない。AIは、悲しみも喜びも知らないし、知ることもできない。AIは熱には弱いが、熱さを感じているわけではない。
また、AIは、責任が取れない。今年3月、UberのAIによる自動運転テスト中の自動車が、交通事故を起こし、死者を出してしまった。まさか、AIに責任を負わせるわけにはいくまい。
同じように、AIの診断ミスや手術ミスによって何らかの被害が出た場合、やはり、AIを使って診断や治療を行なった人間が責任を負うということになるだろう。責任者は、医学とロボットのプログラムについて熟知し、そのメリットとデメリットを理解できる有能な人間でなければならない。
とすると、問題は、医師がAIに代替されるかどうか、ではない。AIに代替できない高度な読解力や人間力を、これからの医師が持てるかどうか、である。しかし、現状の医学部入試システム、医学部教育のなかでは、人間独自の能力たる読解力や感性を鍛えるためのカリキュラムはほとんど無きにひとしいだろう。
生まれながらの才能と、大学入学までの学習経歴、医師になってから、あるいは日常の生活の中での自助努力によって培った能力によって、辛うじて医師本来の能力が担保されているのが現状である。