大杉漣、西城秀樹の友人たちが「いまになって思うこと」

喪って改めてその大きさに気づいた
週刊現代 プロフィール

今度は私が「思い出」と生きるわ/野坂暘子(夫人)

野坂昭如 享年85'15年12月9日没(心不全)

野坂はよく、「人は思い出だけで生きていける」と言っていました。私は「冗談じゃありません。そんなに簡単なものじゃありません」と言い返したものです。

ただ、53年間の夫婦生活が後半にさしかかってから違ってきました。いまは野坂の言う「思い出」の意味を理解しています。

 

彼は、養子でした。とても大切に育てられたそうで、特に養父との思い出を語る時、彼の顔は少年・昭如でした。

14歳で彼は神戸大空襲にあい、一瞬にしてすべてを失った。一人ぼっちで懸命に生きてきたのでしょう。そんな野坂を支えていたのは、家族とともに過ごしたささやかながらも幸せな日々だったに違いない。

野坂は生前、突然いなくなることがよくありました。編集者の方は「先生はどこへ行かれましたか?」「何を着て、靴は履いて出られましたか?下駄でしたか?」と大慌て。

下駄なら、近くということでしょう。でも、いくら探してもいないので困っていましたね。ご存じのように豪快な男でしたので、私はあまり気にかけることはしませんでした。

誰にも行き先を告げずに彼が向かっていたのは、少年時代の幸せな思い出が詰まっている神戸でした。それは、そこに何か大事な忘れ物を捜しに行くように思えたものです。私は、このことを結婚してからだいぶ時期が経って気づきました。

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2003年に脳梗塞で倒れてから13年間、心不全で亡くなるまで彼を介護してきました。その間も体調が良いときには、雲隠れするように突然いなくなることがあったのですが、そこへ行くことは、どんな妙薬を飲むよりも安らいだはずでしょう。

亡くなって、いまあらためて思うのが、神戸で家族と暮らした思い出が彼の世界を形作っていたということです。戦争が終わった直後は、これからどう生きていけばいいのか不安で路頭に迷ったはずです。

野坂は、それから歳を重ねると黒メガネをかけ、酒を飲み、調子よくウソをつきながら生きてきました。だけど、本当に彼の心を支えていたのは、少年時代の思い出だったのだと思います。

これらのことが、「人は思い出だけで生きていける」という野坂の言葉に繋がります。

彼は、生涯を通じて「戦争は絶対にしていけない」と熱をこめて言っていました。「戦争は何も残さない。悲しみだけが残る」というのが、野坂のメッセージです。

それは、少年時代の大切で幸せな時間を一瞬にして壊されてしまったという悲しみによるもの。彼の魂はいまは神戸へ還っているのではないでしょうか。

野坂昭如は小説家でしたけれど、そのドラマチックな人生は、彼自身が小説でした。私は、主人公の隣にいる登場人物のひとりのような気がするのです。野坂は、いまでもよく夢に出てきます。私を守ってくれているつもりなのでしょうか。

「週刊現代」2018年9月1日号より

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