2018.10.10
# AI

「働かざる者食うべからず」というクソ真面目な考えはもうすぐ消える

AI時代と憲法27条の改正問題
井上 智洋 プロフィール

とはいうものの、明治時代には、エリート教育を受けたにもかかわらず仕事をせずに、読書などをして過ごす若者達「高等遊民」が批判を受ける一方で、文化の担い手として擁護されてもいた。

評論家内田魯庵は、1912年(明治45年)にこんなことを記している。

遊民は如何なる国、何れの時代にもある。何所の国に行っても全国民が朝から晩まで稼いで居るものではない。けれども、国に遊民のあるは決して憂うるに足らぬことだ。即ち、これあるは其の国の余裕を示す所以で、勤勉な国民に富んで居るのは、見ように依ってはその国が貧乏だからである。(内田魯庵『文明国には必ず智識ある高等遊民あり』青空文庫)

国民全員が朝から晩まで働いているような国は貧乏な国で、遊んでいる者がいるのは豊かな証拠であり、何も心配することはないと言っているのである。

 

明治、大正にはそのような心の余裕がまだあったが、昭和に入り戦争が始まり時局が切迫してくると、裕福な家庭の子女が遊んで暮らすことにも、厳しい目が向けられるようになった。

それでも、谷崎潤一郎の『細雪』という裕福な旧家に育った4人姉妹が織り成す華麗でかつ生臭い物語を結末までたどると、散々お見合いを繰り返してきた3女の雪子が、家族の合意のもとに子爵の息子で金遣いの荒い無職の男と結婚することに驚かされる。

物語はちょうど日中戦争の時期に進行しており、太平洋戦争が始まる年(1941年)の春に終わっている。1938年に国家総動員法が制定されており、雪子の結婚が決まったのは総力戦の準備が着々と進められている真っただ中だ。それでも当時なお無職が許容されていたのである(小説の中でも無職は望ましいとは思われていないが、それでも結婚相手として相応しくないとまでは判断されていない)。

ともあれ、太平洋戦争という総力戦の経験を経て日本人の勤労道徳はさらに強化され、大日本帝国憲法にはなかった「勤労の義務」が、憲法に書き込まれるに至った。当初「すべて国民は、勤労の権利を有する」という条文だったが、スターリン憲法を参照した社会党の提案によって「義務」が加えられたと言われている。二宮尊徳の「報徳思想」に基づいて提案されたという説もある。確かなことはよく分からない。

AI時代に「勤労の義務」は必要ですか

勤労道徳は、戦前以上に戦後の社会に広く深く浸透し、今では、お金持ちであろうがなかろうが、働かない者はニートなどと言われ、すっかり軽蔑の対象となってしまった。

私は勤労道徳の歴史的役割を必ずしも否定しない。日本が近代化する過程で、ある程度は必要だったのかもしれない。しかし、私達はいつまでもそれを強迫観念のように抱いているべきではない。

これから、人工知能(AI)が普及してくれば、なおさら強迫観念的な勤労道徳は不要になる。それどころか害悪をまき散らすようになるだろう。

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