プラットフォーマーの裏切りの歴史
今やECの勢いは留まるところを知らず、店舗販売は存続さえ危ぶまれているが、アパレル業界にとっては人気ファッションECモールの手数料高騰が頭の痛い問題になっている。その状況は『ECモールが百貨店化している』と嘆かせるほどで、“三度目の裏切り”かと業界を落胆させている。

アパレル流通の四半世紀を振り返れば、プラットフォーマー(※)の裏切りの歴史だった。アパレル業界とて、それを原価率の切り下げで穴埋めして来たのだから、結局は業界ぐるみで消費者を裏切ったわけで、バーゲンしてもファミリーセールを繰り返してもアウトレットで叩き売っても過半が売れ残るという破綻に陥ったのもやむを得まい。
アパレル流通崩壊の引き金は百貨店が引いた
もう二昔も前の出来事だが、アパレル流通のみならず国内アパレル産地崩壊の引き金を引いた“事件”があった。
バブル崩壊後の売上急落を利幅で埋めるべく大手百貨店は92年から00年にかけて毎年のように取り分(「歩率」と言われる売上手数料率)を増やし、8年間で計13ポイントも嵩上げてしまったのだ。どこの百貨店が口火を切ったか業界の上層部は誰もが知っているが、表立って誹られる事は今も憚られる。
取引アパレルは収益を確保すべく原価率をほぼ同ポイント切り下げ(33%が20%になったと言われる)、コストの高い国内生産から中国生産にシフトして国内産地崩壊の引き金を引き、お値打ち感の急落で消費者は百貨店から駅ビルやショッピングセンター(SC)に逃げ出した。アパレル事業者も我先に百貨店から駅ビルやSCに販路を移したが、そこにも罠が待っていた。