沖縄を思う気持ちがない現政権
この米軍統治の時代、日本国憲法も米国憲法も適用されない「無憲法」の時代を過ごし、さらにその時代に出来上がった日米同盟のもとでの日米地位協定によって、事実上、日常の生活が規律されている。
この憲法を超越した地位協定の効力によって、沖縄県民の人権が今でも蹂躙(じゅうりん)され続けているからである。
さらに不幸なことに、こうした「憲法がない」のをよいことに、日米政府はこぞって沖縄に米軍基地を集中させてきたのである。


政府が発表している資料からも明らかなように、敗戦直後には日本に駐留する米軍基地のほとんどは本土(沖縄以外の日本)に存在していた。
しかしその後、本土において反基地運動が盛り上がり、それに伴い米軍基地は次々と沖縄に移転し、気が付いたら現在の7割以上が沖縄に集中するといういびつな状況が出来上がっていたのである。
本来であれば、それが72年の復帰時に一度精算されなくてはいけなかったはずであるが、米国追従の日本政府の姿勢がそれを拒んできたということだ。
それでもまだ、政治家の気持ちのなかには、それなりに沖縄への思いが存在していたとされるが、こと現在の政権から、こうした沖縄を思う気持ちがみじんもみられないどころか、むしろ沖縄を侮蔑するような発言が続いている。
たとえば、教科書検定における沖縄戦の集団自決を否定するような動きがあげられるだろう。しかもこうした「沖縄ヘイト」の市民社会における広がりを利用し、より沖縄に厳しい生活を強いている実態すらある。
そうしたなかで、沖縄におけるメディアもまた、本土メディアとは違う立ち位置を持ち続けている。
その大きな違いの1つは、戦争による断絶である。日本のほとんどすべての新聞、とりわけ大手新聞のすべては、戦前から経営も記者も継続してきている。
それは、新聞が戦争の被害者であるのと同時に、国民を鼓舞し戦場に駆り立てた加害者であった歴史的事実からすると、戦争責任が不明確なまま戦後が始まったことにつながる。
これに対し、沖縄の新聞は地上戦によって完全に新聞の発行が止まり、さらにその後の米軍占領によって、新聞の歴史がいったん途絶えている。しかも、米軍施政下において、民衆とともに、自由を勝ち取ってきた歴史を有する。
この点で、本土の新聞が憲法制定で自動的に自由を手に入れたのとはまったく違う歴史を有しているということだ。
米軍の施政下において、「島ぐるみ闘争」などを通じ最低限の自分たちの尊厳や生活を守り抜いた住民とともに、新聞があった歴史こそがいまの沖縄ジャーナリズムを形成しているといえるであろう。
