玉城デニーを勝たせた「翁長の幽霊」、呼び覚まされた沖縄の怒り

そして、キーマンが明かした今後の課題
石戸 諭 プロフィール

財界のキーマンの独白

金秀グループの誕生は1946年に遡る。

沖縄戦で多くの県民が犠牲になり、終戦後もその傷が生々しく残っていた。そんな時期に、西原村(当時)我謝の集落で、農機具を作っていた鍛冶屋がいた。

グループの創業者で、呉屋会長の父・秀信だ。太陽が空に昇る前から金属を叩き、西原村の農民たちのために農機具を販売した。これが原点である。秀信は19歳にして社長に就任し、米軍関係の工事も受注しながら企業は成長を続けていった。

 

彼らもまた過酷な沖縄戦後の歴史を生きぬいてきた。その後を継いだのが息子の呉屋だった。グループの事業は好調で、来年2019夏にはフランチャイズ契約を結んだセブンイレブンの沖縄初出店が控えている。

呉屋は辺野古移設への反対を明確にし、市民集会などでも発言することから革新だと言われる。だが、本当にそうなのだろうか。

沖縄経済界には1998年の県知事選以降、経済界の集票を担当する六社会というグループがあった。金秀もメンバーだった。

沖縄の経済界は自民党の支援も受けながら、政治に深く関わってきた歴史がある。基地反対派の大田昌秀県政から1998年に県政を奪還した稲嶺恵一は、沖縄の石油企業「りゅうせき」の創業者一族であり、その後を継いだ仲井真弘多は沖縄電力の会長(当時)だった。

いずれも六社会が誕生をバックアップしている。

ところが前回の知事選では六社会を離脱してまで翁長を推した。仲井真陣営からは公然と「翁長が知事になれば不況になる。革新不況がやってくる」と言われた中での支援表明だった。

《基本的に基地は経済発展の妨げなんですよ。沖縄に最低限、どのくらいの基地が必要かは議論がわかれるので、これは議論をしたいと思っています。

でも、沖縄は基地依存経済だなんていう人は、那覇新都心を見てほしい。小禄の再開発をその目で見てほしい。そこにあった米軍基地と比べて、どっちが雇用を生んでいるか。どっちが経済効果があるのか。こちらには論より証拠がある。

私たちが作りたいのは、日本のどこにもない沖縄県なんですよ。観光業が好調なのも平和だからできること。私はそこを企業経営でバックアップしたいんですよ。政治家は支えても、自分が政治家になるつもりは毛頭ないんです。》

呉屋会長〔PHOTO〕著者撮影

呉屋は時に舌鋒鋭く、間違っているものは間違っていると指摘する。今回の県知事選こそ勝ったが、名護市をはじめ首長選で敗れたオール沖縄についても同様だ。

一人称は「私」から「僕」へと変化する。

《地方の首長選でも「辺野古移設反対」を掲げて勝とうなんて大きな間違い。県民の意思は4年前の選挙でも示されている。それを踏まえて、今回の候補者は何をやるのかを語らないといけない。

僕が「オール沖縄会議」の共同代表をやめたのは、名護市長選の呆れた選挙戦術、選挙対応がきっかけ。これで本当に名護市民に対して申し訳ないという気持ちはないのかと聞いても、誰一人として反省の弁がない。

こんな低落は僕の企業人としてのプライドが許さないよ。でも、翁長さんがこんなことになると知っていたら、共同代表をやめるわけにはいかない。どんなことがあっても僕はやめずに留まったと思う。

僕の辞任が死期を早めたとしたら、申し訳ないなと今でも思っています。》

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