2018.10.04
# 選挙

それでも本当の「世代交代」にはつながらなかった沖縄県知事選の意味

これからの県政の課題はなにか

同じ世代が争ったはずだが

翁長雄志前知事の急逝をうけて30日行われた、今回の沖縄知事選は世代交代を問う選挙となった。

「世代交代」というものの、当選した玉城デニー氏(58)、次点の佐喜眞淳氏(54)は、ともに五十代である。にもかかわらず、玉城氏は1972年の沖縄本土復帰以前の経験と記憶が色濃い世代の政治感覚を代表し、佐喜眞氏はそれ以後のアメリカ施政下の記憶が薄い政治世代、つまり自らの世代を代表していた。

玉城氏は前の世代を代表であった翁長前知事の後継者として擁立された。亡くなった翁長氏の遺言をアピールしたり、8月29日の出馬声明の記者会見でも、前のテーブルに翁長氏の遺品の帽子を置き、隣に最近、那覇市議になった翁長氏の次男が座るなどして、その点を強く打ち出していた。

 

翁長氏は、1950年、保守系政治家一家の生まれである。アメリカ施政下の沖縄で育ち、返還前に国内留学として東京の大学で学んだ。そして成人後、復帰を迎えている。自民党の政治家として経歴を積んだが、保守政治家でありながら基地問題については、はっきりと東京の中央政府と対立姿勢を示した。

成人前後の体験が、その後の人間の世界観に大きな影響を及ぼすとすれば、翁長氏は、返還前、アメリカ施政下を経験した世代のアイコンで、しかも最後の政治家であるといっていい。

その翁長氏が体現した、戦後沖縄の対立政治を、次の世代が継承するか否かが、今回の選挙の歴史的な意味だったのである。

翁長氏は、強烈な基地反対派ではあるが、日本の政治用語にあるような左派、革新系ではなかった。彼は保守である。だが、ナショナリストだ。戦後沖縄のアイデンティティ・ポリティックスを強く意識した政治家だ。彼はともかく東京の中央政府と対立する道を選んだ。彼は保守でも穏健派ではなかった。

例えば90年代の代表的な革新系知事の大田昌秀氏のころでさえ、対立はいまよりは少なかった。大田知事の在任中に、少女暴行事件、普天間基地移転要求運動、地位協定と米軍整理縮小に対する県民投票、県による代理署名拒否問題、などがあったにもかかわらずである。

これまで、あまり注目されていなかったが、沖縄の政治を長年、研究し、関わってきた筆者から見ると、沖縄政治の変調は、翁長氏が2000年の那覇市長選挙の際、当時の自民党県連会長の穏健派で、市長選の最有力候補であった嘉数昇明氏を蹴落として、那覇市長候補になったときから始まったと考える。

翁長氏を中心とするグループが中国と接近し、東京の政府と全面的な対立構造に入ったからだ。

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