またか…「教育勅語」の再評価が繰り返されるシンプルな理由

「普遍性がある」論争の傾向と対策
辻田 真佐憲 プロフィール

スローガンの投げ合いは意味がない

現在のネットは速い。炎上はあっという間に消費されてしまう。今回の「教育勅語」騒ぎも、すぐに立ち消えになるだろう。だから、最後に記しておきたい。

「普遍的な部分もある」「戦前回帰だ」。このようなスローガンや決まり文句の投げ合いは、なにも生み出さない。

ヒトラーは『わが闘争』のなかで、プロパガンダのコツを4点あげている。わたしなりに「現代風にアレンジ」して列挙するとつぎのようになる(この解釈が妥当かどうかは、同書の上巻第6章を確認されたい)。

(1) 白と黒、敵と味方をはっきりさせ、グレーゾーンを許さないこと。
(2) 同じことをボットのように何度も繰り返すこと。
(3) 論理ではなく感情に訴えること。
(4) ごちゃごちゃいうインテリは無視すること。

「教育勅語」の部分的肯定論は、まさにこのような手法によって広がってきた。これに対して同じように「戦前回帰だ」とやり返しても、物量戦になり、消耗するだけに終わる。

 

だから、ここではその逆を志向したい。すなわち――

(1) 健全な中間地帯を模索すること。
(2) 日和見との謗りを恐れず、柔軟に思考すること。
(3) 感情ではなく論理を尊ぶこと。
(4) 知識や教養を大切にする層を相手にすること。

「教育勅語」の原文を読んでみたり、その歴史的な文脈を調べてみたりするには、このようなゆとりある態度が欠かせない。

時間はかかるのかもしれないが、長い目で見れば、これこそ「普遍的な部分もある」という欺瞞に満ちた決まり文句を無効化していくだろう。

スローガンにスローガンで対抗してはならない。それは泥沼だ。「教育勅語」についてはすでに散々書いてきたので、自戒も込めつつ、今回はこの点を強調して筆を擱きたい。

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