2011〜2017年(1708〜2000番)
2011年3月11日。この日を境にブルーバックスは、いや出版界のすべては、重い課題を背負うこととなった。
なかんずく「放射線」については、これまで時事問題や世相と直接かかわることは少なかったブルーバックスにとって、むしろ科学新書だからこそできること、なすべきことがあると思われた。
いますぐにできることは何か。編集部の出した答えは、放射線・原発に関連する既刊書を緊急重版し、風評に惑わされないための正確な知識を広く伝えることだった。
選ばれたのは『世界の放射線被曝地調査』(B1359 高田純)、『人は放射線になぜ弱いか(第3版)』(B1238 近藤宗平)、『日本の原子力施設全データ』(B1345 北村行孝/三島勇)の3点である。

福島第一原発から他地域への放射線の影響をめぐって、国中が混乱していた。メディアでは悲観的な見方も多く、明らかな風評被害が続出していた。
重版にあたって、高田と近藤はそれぞれ、微量放射線を過度におそれることはない、とのメッセージを加筆し、北村・三島は誤解による理由のない混乱がないよう求めた。
『日本の原子力施設全データ』は一部をPDFで無料公開したことでも話題を呼び、のちに福島第一原発についての情報をくわしく盛り込んだ「完全改訂版」(B1759)も刊行された。
この放射線量は安全なのか危険なのか、明確な答えがほしいと思うのは当然のことである。しかしメディアに登場してそう問われた科学者は、科学に対して真摯であろうとするほど、安易な明言を避けようとする。それがまた、科学への不信感を募らせる。
そうした図式が繰り返されるのを見るにつけ、「科学」とはどういうものなのかを、科学の側はもっと説明し、発信する必要があるのではないかとも思われた。
しかし、はからずもこの年には、当時の日本人を熱狂させた「科学」の2大成果が、いずれもブルーバックスになった。
ひとつは震災発生から10日もたたずして刊行された、『小惑星探査機「はやぶさ」の超技術』(B1722)。小惑星イトカワからサンプルを採集して、2010年6月13日、みごと地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトの一部始終を、リーダー川口淳一郎の監修のもと、プロジェクトチームのメンバー12人が分担執筆したものである。

そしてもうひとつが、同年8月に刊行された『iPS細胞とはなにか』(B1727 朝日新聞大阪本社科学医療グループ)。iPS細胞の発見によって山中伸弥京都大学教授がノーベル生理学・医学賞を授与されるのは、この翌年である。

「はやぶさ」「iPS細胞」はともに、かつての日本人が「21世紀の科学」に寄せていたバラ色の夢と希望を思い出させるものだった。2つのブルーバックスと震災に、科学の明と暗がコントラストをなして見えた。
この2011年には、もうひとつのエポックがあった。『宇宙は本当にひとつなのか』(B1731 村山斉)の大ヒットである。

宇宙の約96%はダークマター、そしてダークエネルギーという謎の物質が占めていて、われわれが理解していることはわずか5%にもみたない、しかもこの宇宙さえ、ほかにも無数に存在している宇宙の中のひとつにすぎないかもしれない──最新の宇宙論から導かれる衝撃的な仮説を、IPMU(東京大学国際高等研究所数物連携宇宙研究機構)の機構長を務める最前線の研究者が紹介した同書はたちまち11万部を記録、生命科学分野の健闘が目立っていた21世紀で、初めての物理学系でのヒット作となった。
研究者ばなれした明快な説明能力を持つ村山には各出版社から執筆依頼が殺到、「内向き」だった新書業界は新たなスターを得てにわかに「宇宙ブーム」に沸いた。
ブルーバックスでもしだいに「宇宙」「物理」の分野が活況を呈しはじめる。
2012年には、前年刊行の『ゼロからわかるブラックホール』(B1728 大須賀健)が講談社科学出版賞を受賞。また、翌2013年、ヒッグス粒子発見までの経緯を描いた大部の翻訳書『ヒッグス粒子の発見』(B1798 イアン・サンプル著 上原昌子訳)が刊行されると、同年にヒッグス粒子の発見によりフランソワ・アングレールとピーター・ヒッグスにノーベル物理学賞が授与された。

この年には村山のブルーバックス第2作『宇宙になぜ我々が存在するのか』(B1799)も出たほか、村山に次いで物理学部門で出版界の寵児となっていた大栗博司が『大栗先生の超弦理論入門』(B1827)を刊行。「難解な理論を、数式を極力使わず日本語で説明する」という執筆意図を、ブルーバックスでは初の縦書きのタイトルで表現した同書は、翌年の講談社科学出版賞を受賞する。

この2013年はブルーバックスの創刊50周年にあたり、9月にはその記念イベントとして、大栗と、同年に『単純な脳、複雑な「私」』(B1830)を上梓した池谷との対談が企画されて(東京・日比谷図書文化館コンベンションホール)、大盛況となった。