ノーベル賞受賞者はなぜ、苦言を呈するのか?
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さて、ここからは、記者会見で本庶さんが提起した「基礎科学」について考えてみたい。
じつは、毎年、10月の初めになると、この話題でマスコミが賑わう。なぜなら、ノーベル賞受賞者の多くが、日本の基礎科学が弱体化していると苦言を呈するからだ。
日本の基礎科学は、本当に弱体化しているのだろうか?
それを示す数字はいくらでもある。たとえば、2018年版の「科学技術白書」によれば、2004年の日本の研究論文が6万8000本でピークだったのに、2015年は6万2000本に減ってしまった。
同じ期間で、中国は5倍に増えて24万7000本に、アメリカも2割以上増えて27万2000本になっていることを思えば、日本だけが「おいてきぼり」を食わされていることが理解できる。
また、論文の影響力を示す「引用回数」のランキング上位1割に入る論文について、日本は、2003〜2005年には5.5%(世界4位)だったのに対し、2013〜2015年は3.1%(同9位)に下がってしまった。
海外との共同研究が研究のレベルを引き上げ、未来のノーベル賞にもつながるわけだが、2000年に海外に派遣された日本人研究者は7674名だったのに、2015年は4415人へと激減している。このような数字は、枚挙にいとまがない。
「日本人ノーベル賞受賞者」激減時代の幕開け
数字とは別に、私の周囲を見回しても、
「博士課程になんぞ行ったら食っていかれない。なるべく早く、企業に就職しないと!」
という若者がめちゃめちゃ多い。大学院に残って研究者の道を選ぶ優秀な人材が、明らかに減っているのだ。
「べつに応用研究がさかんなら、基礎研究なんていらないんじゃね?」
もしもそう思われたなら、今回の本庶さんの研究を振り返るだけで、その考えが間違いであることがわかるだろう。
本庶さんはがんの専門家ではないから、がんの薬を開発する「応用研究」としてPD-1を研究していたわけではない。あくまでも免疫学者として、正体不明のPD-1を追究しているうちに、「がんの治療薬に使えるかもしれないね」となって、がん治療のパラダイムを変えるような大発見につながったのだ。
つまり、基礎研究が弱くなることは、将来、本庶さんのような研究が減ることを意味する。もっとわかりやすくいえば、ノーベル賞受賞者の数が激減する、ということなのだ。
科学・技術の「空洞化」をどう防ぐか
日本は資源に恵まれていないから、智恵を絞って、科学技術の成果を世界に売るしかない……、私が子どものころ、そんなふうに教わった。それが今、基礎の部分から音を立てて崩れようとしている。
日本経済は、一向に上昇する気配がなく、特にわれわれのような労働者の可処分所得は下がる一方だが、国が全体として貧乏になれば、そのツケは末端のわれわれに回ってくる。
国が全体として富むためには、日本の場合、基礎研究がきわめて大切なはずだが、その研究資金を削り続けたツケが、そろそろ回ってくる。すでに優秀な人材が科学者になる道を諦め始めており、今すぐに大胆な手を打たなければ、今後何十年にもわたって、日本の科学は空洞化してしまう。
国の借金を返済するために、さまざまな支出を削り始めたのが、小泉政権のとき。基礎科学は「要らない支出」の筆頭だった。
その後の政権も、同じ方針で基礎科学に回る研究費を圧縮し続けた。それが、この国の首を真綿で絞める政策であったことは、これから10年後、ノーベル賞受賞者がほとんど出なくなり、特許も取れなくなって初めて、理解されるのだろう。
いま、われわれは亡国の坂道を真っ逆さまに転げ落ちている。
為政者は、めでたいめでたいという前に、本庶さん(そして、歴代のノーベル賞受賞者たち)の警告に耳を傾けるべきであろう……。
