子どもが欲しくても、何らかの事情で授かることができない夫婦が多くいる。グラフィック・デザイナーのセキユリヲさんもその一人だった。しかしセキさんは「それでも子どもを育てたい」と思い、特別養子縁組という選択を選ぶ。
ハードルの高い印象のある特別養子縁組だが、セキさんは一体どうやってそれらをクリアしたのだろうか? 今年、開高健ノンフィクション賞を受賞した作家の川内有緒さんがインタビューを敢行、前後編に渡ってお届けする。
あるきょうだい
そのマンションの一室は、温もりのある木製家具や雑貨、子どもが描いた絵が混じり合い、居心地よくまとまっていた。大きく開けはなした窓からは、爽やかな風が入ってくる。
この家に住むのは、グラフィック・デザイナーのセキユリヲさん一家。セキさんは、装丁や広告のデザインをしながら、「古きよきを新しく」をテーマにする雑貨ブランド「salvia」を運営している。北欧をイメージさせるそのテキスタイルや雑貨は、幅広い年齢層のファンに支持されてきた。

リビングから続く和室では、1歳の男の子がスヤスヤと昼寝していた。名前はリュウくん(仮名)。
しばらくすると、玄関から「おかあさん、ただいまー!」と、元気な女の子の声が聞こえてきた。近所に遊びにいっていた4歳のユウちゃん(仮名)が帰ってきたのだ。
「おかえりー!」とセキさんの声が明るく響く。
「ねえ、おかあさん、みて。おともだちからこれ、かりたんだよ」
ユウちゃんは、電車のおもちゃを両手に抱えている。
「そう、よかったね!」
どこにでもあるような家族の風景。でも、少しだけ特別なことがある。
ふたりは、特別養子縁組で迎えた子どもたちなのだ。
セキユリヲさんと旦那さんの清水徹さん、そして、ユウちゃんとリュウくん。
東京の片隅に暮らす、4人家族の話を聞いた。
不妊治療が辛かった
「ユウは、すごいパワフルです」
セキさんは、おもちや絵本を次々と取り出すユウちゃんを柔らかな表情で眺めた。さっきまで整頓されていた部屋が、少しずつ散らかってゆく。
「ユウといると毎日こんな感じです。だから体力の方が大変ですねー」
そう言うセキさんは、今年47歳だ。私も46歳で3歳の子どもがいるので、高齢で子育てをする大変さはよく分かる。しかも、セキさんのところはふたりなのだ。
こうして私がたちが会話をしている間にも、ユウちゃんはセキさんに盛んに話しかけた。
「おかあさん、おともだちのいえでぶどうたべたんだよ!」
「うん、よかったねえ」
いまや日本のものづくりの世界ではよく知られるセキさんだが、短大を卒業後はごく普通の事務職についていたそうだ。しかし、「この仕事は自分に合ってない」と感じ、多摩美術大学の夜間コースに入学し直し、グラフィックデザインの勉強をした。
昼間は働き、夜は学校へ通うというハードな4年間を送ったあと、デザイン事務所に就職。20代の後半で独立し、salviaを立ち上げた。29歳で家具デザイナーである清水さんと結婚したあとは、ただガムシャラに仕事をしてきたという。
「仕事が楽しかったんです。だから、いつかは子どもを、とは思いつつ、気がついたら30代の後半になっていて。初めて、あれ、まずいのかもと焦りを感じました。
最初は、もし自分で子どもを産めるなら産みたいという気持ちもあり、いわゆる不妊治療もしたんだけど、そんなに長く(治療に)通ったわけではないです。カラダにもココロにもきつくって、これ(治療)は自分にとって健全ではないなと思って。それに、いろいろ仕事しながらスケジュールを調整するのも大変だった」
そう語るセキさんは、辛い思い出を語っているという雰囲気は全くなく、シンプルに過去のことを説明している感じだ。