環境問題を考えるとき、問題となるのは、基準値だ。人工的に汚染されているのか、自然環境の中で存在する数値なのか。それを判断するには、もともとそこにある基準値を明らかにしておくことが必要だ。
たとえば、土壌汚染や放射能汚染というとき、何を基準に考えているのだろうか。
産業技術総合研究所の地質情報研究部門には、この基準値を調査しているチームがあると聞いて訪ねた。彼らが作っているのは「地球化学図」という地図だ。地球の化学とはいったいなんだろう。
資源調査のための研究が環境問題の調査へ
疑問に答えてくれたのが、産業技術総合研究所・地球化学研究グループの3名。現研究グループ長の岡井貴司さん、長年この研究に関わる今井登さん、そして上級主任研究員の太田充恒(あつゆき)さんだ。
「地球化学図は、化学の名の通り、その土地の元素を調べるものです。サンプルとなる砂を集めてきて、それを分析し、構成する元素を調べるのです」(岡井さん)

古くは、鉱石など資源探査のために始めた研究だった。しかし、70年代後半から環境問題の調査が目的となったそうだ。
「先進国では資源が調べ尽くされてしまい、新たな鉱床は発見できなくなりました。そこで、当時問題となっていた環境汚染の調査に同じ手法が使われるようになりました」(今井さん)
1978年、イギリスが全国元素マップを作り始めたのがきっかけとなった。ヒ素や鉛など、人体に影響を及ぼす元素がどこに存在しているのか、イギリス全土で15万ヵ所を調査した。国土を1キロメートル四方の方眼状に切り分け、その1マスから1ヵ所を調査する。ひとくちに15万ヵ所といっても、10年以上はかかる国家プロジェクトだった。
「先輩が、イギリスに習って日本でも同じことをやろうとしたんです。1キロメッシュの同じ手法だと、全国をカバーするのに少なくとも30~40万ヵ所の調査ポイントが必要となります。見積もりをしたら何十億円とかかる。とてもそんなお金は出ませんでした」(今井さん)

そこで試しに、最低限の予算で北関東を調査してみた。5年間で4000ヵ所の砂を集め、地図を作った。しかし、1990年前後のコンピュータの限界から、ドットの粗い絵画のような地図で、予算的にもこれを全国に展開したいと言っても相手にされなかった。
逆転の発想からプロジェクトが動き始めた
それから数年、プロジェクト暗黒の時代が続く。大きな予算を付けるだけの理由と、それに見合う結果が具体的には見えてこなかった。
細々と続けるなか、ある報告会のあとに雑談をしているときだった。1人のメンバーが「1キロメッシュにこだわる必要はないんじゃないか」と言った。
「その通りだったんです。我々は研究者としてイギリスの手法にこだわりすぎていたのかもしれない。10キロ四方なら、なんとか全国で調査する予算が付くのではないか。発想の逆転をして、取れる予算からサンプルの数を決めたんです。毎年3000万円で5年。これならなんとかなる。少ないサンプル数への不安は、全国規模ならなにかがわかるはずだというハッタリでカバーしました」(今井さん)
実直でストレートな話しっぷりが気持ちいい今井さん。予算というのは不思議なもので、最低限の数字で工夫をすればゴーサインが出るものだ。そして結果が出た。
「やってみたら、思った以上にちゃんとしたものができたんですよ」
イギリスが始めた1キロ四方を10キロ四方の粗い目にすれば、日本列島をカバーするのに30万ヵ所から3000ヵ所へと調査地点が一気に減る。この調査により、水銀やヒ素などの存在が地図上に一目でわかるようになった。
