かっこ悪いって、何だか楽しい
――芸風には変化がありますか?
「それがまた不思議で。落語家さんにも、その方の年齢に合った落語があるっていいますよね。若いときのほうが変わった設定のものをやっているとか、尖ったセンスに走る笑いを目指すとか、あると思うんです。
オードリーでいえば、それこそ相方をちょっと遅れて出てこさせるとか、ボケの前に僕が叩くとか。そういうズレって、他にやってる奴いないから、『こうすればお笑いファンに褒められるかな』と思ってネタを書いていた。
でも、40にもなると、愚にもつかないくだらない設定が似合うようになってくる。この前なんて、『ここからあそこまで瞬間移動できるか試す』というネタを延々20分くらいやりました。これは30歳ではできないですね。おじさんってくだらなくなれるから、すごくラクなんです。
たとえば、若い頃は服がダサいと、本当にダサくなっちゃうけど、おじさんがダサいとなんだか楽しい。今は楽しいですよ」
何かへの反発で物を言ってみたり、相手より自分が正しい、優れているとマウントをとってみたり、物事をナナメに見て論をぶってみたり……若いときには、それが楽しいこともある。しかしそこに囚われていたら、すぐに人生は終わってしまう。
意識が高くて気に食わない世の中だって、面倒に思える他人とのかかわりだって、ひとりひとりの価値観やものの見方がわかれば、面白い。ナナメの自分を全否定はしない。あの頃があったから、今が楽しい。でも、もうあの頃に戻りたくはない。
そんなふうに目線が変わることの緩やかな楽しさが伝わってくる。
ただ、そうは言っても、本人が感じている寂しさ以上の寂しさを覚えているファンもいるはずだ。南海キャンディーズの山ちゃんと若林の、世の中への不満と自意識が空回りする「足りない二人」をまた見てみたいと思ってしまうのは、筆者だけではないだろう。
「山ちゃんはデスマッチを続けていてすごいです。いま、山ちゃんとライブをやったらどうなるのかってよく考えるんですよ。
正直言うと、やりたいですよ。山ちゃんに吊るし上げられるんだろうなって。山ちゃんは僕が無理してると思っているみたいで。『変わろう変わろうとしてカッコ悪いよ、それ』とか言われましたから(笑)。
デスマッチのリングに二人で上がっても、もう同じことを考えている二人じゃなくなるのかもしれませんね」
(文中一部敬称略)