僕の初恋の相手は、男だった
もしも、好きになった人に「好き」と素直に言える学生時代だったなら、人生はどんなふうに変わっていたんだろうなと、大人になった今でも思うことがあります。
それは中学校に入学して間もない頃。まだ桜の木が花びらを落としきる前の、あたたかな日。
校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下で、ある男子生徒とすれ違いました。背が高く、中学生とは思えない大人びた体格、少し明るい色の髪と、日本人離れした顔立ち。
「わあ、かっこいい先輩だな」と思ったのだけど、上履きの色が同じで、彼も入学したばかりの同学年の生徒だとわかりました。
同性をかっこいいと思うくらいは、どんな男性にもあるはず。けれど僕は、それから来る日も来る日も、違うクラスにいる彼のことばかり考えていました。
彼のことを知りたい。僕のことも彼に知ってほしい。話をしてみたい。仲良くなりたい。
「そうか、これを『恋』と呼ぶのか」と理解するまでに、そう時間は掛かりませんでした。
男性は女性を好きになるのが基本だということくらい、中学生にだってわかる。
それなのに、なんで?
僕っておかしいのかな?
男の子を好きになる僕は、本当は女なのかな?
でも、自分はあくまで男性で、女の子になりたいとは思わない。
じゃあ、なんで?
「男だから」じゃなく、「彼だから」恋をした
もしも誰か大人に相談していたら、「思春期に起こる同性への興味は、一過性のものだ」と一蹴されていたでしょう。
けれど、少年たちが成長過程でお互いの肉体に興味を持つ感情と異なることは、明らかでした。そんな、身体だけに向けられた興味じゃなく、誰でもいいわけじゃなく、数多いる男子生徒の中で、僕がそんなふうに想いを寄せたのは、彼一人だけでした。
あるいは「男性は女性に恋をするものなんだ。同性に抱くそんな感情が、恋であるはずがない」って、医者に助言を求めようと精神病院に連れて行かれたかもしれません。いいえ、僕には、異性同士が惹かれ合う恋のように、これもまた『恋』である確信がありました。
「自分のことなんだから、誰かに頼らず自分で調べよう」と、僕は図書館やインターネットであらゆる文献や記事を読み、世界には『同性愛者(ゲイ・レズビアン)』と呼ばれる人たちがいて、自分もまたゲイである確証を得ました。
ひとまず、得体の知れなかった自分という人間が何者であるかをカテゴライズできて、安心したのを覚えています。