女子が最初に好きになった
クイーンのフレディ・マーキュリーを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が人気である。
クイーンのレコードデビューは1973年、日本で売られたのは1974年だった。
その年から翌年にかけて、ヒット曲を出し始める。
私は高校生だった。ヒット曲はだいたい聞いていたことになる。
でもあまり関心を抱いていなかった。
当時の“洋楽”は好きだったのだが、クイーンはあまり積極的に聞かなかった。
これは私個人だけではなく、当時のロック好き十代「男子」のふつうの動向だったようにおもう。
理由のひとつは「先に女子が熱狂したから」ということにある。

クイーンに飛びついたのは、まず日本の十代の女性だった。世界的にもかなり先駆けだったらしいのだが、その現象を受けてぼくたちは「クイーンは女子のもの」と強くおもいこんでしまったのだ。
高校の同級生女子が騒ぎ、その前後世代の女性が熱狂していた。
なんだかおもしろくない。
とてもつまらない感情だけれど、高校生だからしかたない。先に見つけたなら、それは任せた、というような気分である。
アイドルだと思っていた
また、女子が熱狂したから、アイドルなんだろうとおもってしまった。
ちょうど同じ時期、ベイ・シティ・ローラーズというアイドル的なポップグループが人気で、そちらにも女子は熱狂していたから(たぶん棲み分けていたんだろうけれど細かくは知らない)、それと同じタイプのミュージシャンだとおもってしまった。アイドルだとするとそれは歌謡曲に近く、いっときの徒花のような人気しかないはずで、豊川誕、伊丹幸雄、城みちるらと似たようなグループだと考えればいいのだな、と判断したのだ。
1975年ころにそうカテゴライズして、そのまま固定してしまった。
そのころ小遣いを何とかやりくりして買っていたレコードは、たとえば、ローリングストーンズ、ボブ・ディランやビートルズ、サイモン&ガーファンクル、レッド・ツェッペリン、シカゴ、アリス・クーパー、あたりである(アリス・クーパーにやたら固執していた記憶がある)。
ディープ・パープルやピンクフロイド、イエスも買いたかったが買えず、友だちのを借りて、録音していた。レコードプレイヤーのスピーカーの前にテープレコーダーを置いて直接録音していた。ときどき弟や母の声が入ってしまった。
レッド・ツェッペリンも、4枚目のアルバムを買ったけれど、その前3作がなかなか買えずにもどかしかった。

そういう、買いたいレコードが列をなしているときには、「歌謡曲サイドにあると勝手に判断したクイーン」に興味を持つことはなかった。
同級生の何人かの女性がクイーンがいいと言っており、男子のなかにもクイーンをしきりに勧めるやつもいたのだが、ずっと相手にしてなかった。
まだ当時はロックミュージックの歴史が浅く、ここは男の世界だ、という意識が強かった。よくわからないけれど、でもそうだったとしか説明のしようがない。だから女性が先に熱狂してしまったクイーンを、男の世界で認めるわけにはいかなかった。つまらないところでつまずいていたのだとおもうが、でも十代の当時、この事態に巻き込まれるのは避けられなかった。
ロック好きな男子連中は、だいたい同じ考えだったとおもう。ぼくの周りではそうだった。