「種子法」と聞いてどれだけの人が、ピンとくるだろうか。一部の農業関係者を除いて、一般の人がほとんど知らない種子法は2018年4月に廃止された。一体どんな法律で、私たちの生活にどんな影響があるのか。
そこには、日本国内で収まらない世界的な農業のあり方が問われる問題が潜んでいた。
誰も知らない「種子法」とは
家族や友人、会社の同僚などに聞いてみてほしい。「種子法」って知ってる? おそらく農業関係者でない限り、10人中10人知らないレベルだと思う。それほど知られておらず、またテレビなどのマスメディアでも、なぜか取り上げられることがない。

正式には「主要農作物種子法」といい、1952年に制定されている。主要農作物とは、「稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆」のことを指す。
第8条までしかない短い条文で、内容としては、農作物の元のタネとなる原種、更にその原種のタネとなる原原種の生産をする為、都道府県に圃場(ほじょう)の設置、審査などに加え、幾度かの改正で奨励品種制度も加えられた。
種子の生産は手間と時間、そして多額のコストがかかる。農家だけに任せれば、採算が取れず放棄してしまう可能性がある。そこで種子法を制定し、国が補助金を出すことで、各都道府県の予算において、種子の開発・管理を行うこととした。
種子法が制定されたのは、日本が第二次大戦で敗戦し、昭和26年(1951年)にサンフランシスコ講和条約で主権を回復したその翌年になる。
戦中・戦後の日本は、厳しい食糧難と農作物の不作に陥っていた。日本の主食である米を始め、麦・大豆といった主要作物を安定的に供給する仕組みを作ることが、国家として喫緊の課題だったのだ。日本を立て直すにはまず、国民の飢えを解消しなければならない。
ちなみに、昭和22年頃から大規模な学校給食が始まっており、全国の小学校で完全学校給食が実施されたのが昭和27年(1952年)だ。献立はパンと牛乳とおかず。食糧不足が続く中、アメリカからの小麦粉やミルクに頼るしかなかった。米飯給食が実施されたのは、昭和50年頃からである。
一般の人がほとんど知ることのない種子法が、なぜ今注目を集め出しているのかというと、国が各都道府県の試験場などへ補助金を出す根拠法になっていたからだ(地方交付税の中に組み込まれる形で支給されている)。
この根拠法がなくなってしまったことで、今後日本の主要農作物のあり方がどう変わっていくのだろうか。