種子法廃止で「得する人たち」の狙いと思惑

なぜ十分な議論なく法案は通ったのか
尾崎 彰一 プロフィール

次世代に関わる話だから

規制緩和や市場開放のすべてが、経済合理主義の世の中では良いことのように思ってしまうが、そうではないように思えてきた。見方を変えれば、日本のコメを代表とする種子の管理方法は、税金を投入し公共が管理することで、ある意味成功してしまっている。

世界的にもこれほど高品質かつ安全で美味しいお米を、安定的に安価で提供できる国は皆無だ。スーパーマーケットへ行けば、3千円で美味しいコシヒカリ10Kgが買える。

農協に対しても、昨今のテレビ報道では、ルールを逸脱するものを許さない既得権益の塊のようなイメージで放送されることが増えた。確かに、そのような側面もあるだろう。しかしそれが、農協を解体し民営化することで、全て良い方向に向かうとは考えられない。

 

硬直した部分は時代に合わせ変革し、良い制度は残すべきだろう。民営化し株式会社になれば、多国籍バイオ企業に買収される可能性も出てくる。

国際社会における外交圧力に屈し、グローバル経済に飲み込まれることで、日本の優位性や特徴が薄められていくようで、なんとも怖い。まさに固定種が世界から消え、均質なF1種になっていくように。

種子法が廃止されたからと言って、すぐに多国籍バイオ企業に支配されるというような極端な事態にはならないであろう。しかし、影響は少しずつそして確実に、私たちの知らないところで進むことになる。

ネットでは、もっと日本の民間企業にも種子の開発やらせて強くすればいいとの意見も見られた。実際にやってみないと、どのような形になるかわからない部分も確かにある。

しかし、日本で起きている昨今の検査データの改ざん不正、隠蔽体質を見ていると、主要農作物の種子を民間だけに任せるような形を取ることに危険を感じる。

当初は理想高くやっていたものも、業績不振に陥れば株主からの批判も強く、方針を変えることは十分に考えられる。長期間にわたり、原種・原原種を維持することに、税金を投入することは間違っていないと感じる。

経済合理性だけで種子を見てはいけない。日本人は太陽と大地に神を見て、農耕社会を築いてきた。稲に実る米は神の恵みそのものだった。

経済性や効率性だけを求めて、人類が近年手に入れたテクノロジーを自然のあり方を大きく変えてしまう方向に使っていいのだろうか。今の時代だからこそ高い自然観と倫理観が求められているように思う。

種子の本来の価値、その重要性と意味を理解し、最終消費者である私たちが声をあげなければならない。

種子法廃止に対する注目が少しずつ増すにつれ、普段何気なく食べているお米に対して、意識を大きく変える好機にしたい。先進国の中でも著しく食料自給率の低い日本だが、主要農作物の中で唯一コメだけは100%の水準を保っている。

次世代の子ども達の未来にも関わる食の問題が、今後どのように変化していくのか注視し続けなければならない。

関連記事