佐倉統教授は、ゆうゆうと越境していったおばさんの姿から私たちの「居場所」をたぐり寄せて──。(記事中の写真は、いずれもイメージです)
大学院生のころ、西アフリカで野生チンパンジーの生態調査をしていた。熱帯のジャングルに住む彼らを追いかけ、社会行動を記録するのである。
場所はギニア共和国の南西端、首都のコナクリからは1000km以上離れていて、むしろ隣国のリベリアとの国境に近い、ボッソウ(ボスー)という小さな村だ。
ここは、ぼくの博士論文の指導教員だった、京都大学の杉山幸丸さん(現在は名誉教授)が1970年代から断続的に野外研究を続けていたフィールドである(詳細はこちらのサイトにまとめられているので、ぜひ御覧いただきたい)。
だいたい半年から1年ぐらい滞在して、データを集め、日本に帰国してデータを整理して論文にまとめるという工程を繰り返す。ぼくは博士課程の間に2回、合計15ヵ月をボッソウで過ごした。1980年代の後半である。
西アフリカの国境越えにおばさんが…
その頃はリベリアのほうが物資が豊富なので、ときどき国境を越えては買い出しに行っていた(その後、リベリアは1989年から長期の内戦が始まり、荒廃してしまった)。
陸路で国境を越えたのは、その時が初めての経験である。
国境を越えるたびにぼくたちは、検閲所でパスポートはもちろん、持ち物から何から厳しいチェックを受ける。西アフリカの田舎の国境を陸路で越える日本人はそう多くない。国境警備の役人にとっては、格好の暇つぶしの相手なのだろう。
何のために行くんだ、いつ帰ってくるんだ、ボッソウの生活はどうだ、と、悪気があってというわけではないのだが、延々とあれこれ聞いてくる。
こちらは慣れぬ土地で、しかも慣れぬフランス語でのやりとり、炎天下と土ぼこりの中、いつ果てるとも知れぬ問答に、いい加減いや気がさしてくる。でも、ここでハンコを捺してもらわないとリベリアに入れない。
と、脇を見れば、国境のゲート横の通用門を、現地のおばさんがトコトコトコっと、通っていく。アフリカ流に、頭に大きな荷物をのせながら。

国境警備隊の職員とは顔見知りらしく、にこやかに現地語で言葉を交わしながら、「よぉ、今日の売り上げはどうだったい?」「んー、まあまあだったね。最近、景気が厳しいね。お役人は景気が関係なくていいねぇ」「おばちゃんだって関係ないっしょ」「そうかね。んじゃ、また明日ね」──という感じで通っていくのである。
こっちはパスポート出してあくせく押し問答しているその横を、「ほんじゃねー」と、おばちゃんたちが通っていく。
一人や二人ではない。続々と、というほどではないが、パラッパラッと通っていくのだ。隣の国リベリアで、果物や野菜の行商に行った帰りらしい。