「障害者だから」「ホストだから」…レッテルを貼る人に伝えたいこと
乙武洋匡×手塚マキ不倫報道をきっかけに約2年半活動を休止していた乙武洋匡さん。その復帰第一弾は「ホストクラブ」を舞台にした小説『車輪の上』だった。一見、まったく縁がなさそうにも思えるホストの世界をなぜ舞台にしたのか――。そこには14年来の友人であり、ホストクラブを経営する手塚マキさんの存在があった。
小説のテーマでもあるレッテルや肩書き、偏見と向き合い続けてきたふたりが語る、「生きづらさ」に立ち向かう術。
(取材・文:園田菜々、企画編集:FIREBUG+武田鼎、写真:栗原洋平)
偏見はなくならない。それでも…
乙武洋匡(以下、乙武): 今回の小説は障害者に限ったものではなく、もっと多くの人たちに通じる生きづらさのようなものがテーマ。「男だから」とか「女なのに」、もしくは「長男だから」とか「若いのに」など、身近にたくさんありますよね。「レッテルに縛られると生きづらいよね」という建て付けにはなっているんですけど、本当に伝えたかった肝の部分は別にあります。
差別意識や先入観、レッテルによる不自由さといった“一次被害”がなくなるに越したことはないけど、まあなくならないと思っていて。だとしたら、避けなければいけないのは“二次被害”。他者や社会から貼られたレッテルによって、自分の生き方や行動を制限してしまうこと。そこを克服できたらもっといろんな人が生きやすくなるんじゃないかと思ったんです。

僕がこのテーマを描く上で、最も印象に残っていたのが、以前手塚が話してくれたエピソードでした。2004年に新潟中越地震が起きたとき、営業終わりの明け方に経営者仲間4人でタクシーに乗って新潟県庁に行き、一人100万円ずつポーンと寄付したんですね。「ちょっと目立ってやろう」なんて言いながら。
目立ってやろうと言っていたのも、「どうせホストが募金したって偽善だとか言われるんだろ」と感じていたからこその照れ隠しだった。でも実際に被災者の方々は、手塚たちの職業なんて気にせず、わざわざ東京から長岡まで来てくれたことに、心から感謝してくれた。
手塚マキ(以下、手塚): そこで初めて「自分が一番自分たちの職業に偏見を持っているのかもしれない」と気づいたんです。それまでは、どうせ自分はホストだからという諦めがあったし、ホストである自分に納得していなかった。

――手塚さんは、新潟の一件以来「ホスト」という職業を好きになったのですか。
手塚: 好きになったというよりも、受け入れることができるようになった、という言い方が正しいかもしれません。自分の職業を受け入れた上で「じゃあ、僕たちは社会でどう生きていくことができるのだろうか」と模索するようになったし、勇気を出して業界の外に目を向けてみようという意識に繋がった。そうやって僕の意識や行動が変わっていく中で、乙さんとの出会いもあった。
乙武: そういう意味では、新潟以前の彼と僕が会っていたとしても、ここまで仲良くなれてはいなかったかもしれない。僕が22歳で『五体不満足』を出して、手塚と知り合ったのはその6年後。おそらく、ふたりとも通常の20代の若者が通ってくる道よりも様々な経験を得てきたし、お互いに社会に目を向けていたタイミングで出会えたのが良かった。
手塚は若いホストたちが店を卒業しても、生活していけるだけの環境づくりや人材育成をしようと動いていて、僕も20代後半から教育に携わるようになった。「人を育てる」ことを語り合える相手でもあったんですよね。
手塚: 自分自身は新潟でホストという仕事を受け入れられたけど、従業員たちにも同様に思ってもらいたいと思って、ホストという仕事の社会的意義や未来を考えました。
そうするなかで、ホストの仕事で培うコミュニケーション能力は、将来的に人間としてとても大事な能力になると感じたんです。昨今ではAIの台頭と言われていますが、その時に人間である意義って、心の機微に気づけて共有しあえることだと思うんですね。
だからこそ、その能力の肝となるような教養を身につけられる教育に力を入れるようになりました。みんなでゴミ拾い活動をしたり、ソムリエの資格を取ったり、短歌を詠んだり。今でも続けています。