2019.01.20
# 学校・教育

英語入試改革に小学校英語…なぜ成果が見込めないのに断行されるのか

これは「お金をケチった改革ごっこ」だ
寺沢 拓敬 プロフィール

第二に、新しい教育内容に対応するための自己研修・授業準備も、既存の業務に上乗せである。

業務が増える分、人員を増員して一人あたりの業務時間を減らすという発想はないし、前述の通り、専科教員を増やすことで既存の教員の負担を減らすわけでもない(ただし、特別予算措置により専科教員を新たに採用する話は出ている。とはいえ「雀の涙」程度であり、担任主導という基本方針は変わらない)。

要するに、小学校教員は既存の業務に加え、新たに英語への対応を迫られることになっている。 学校教員の長時間勤務が問題になっているなかで、さらに現場に努力を強いる構図である。

現場に丸投げすることで文科省は多くのコストを節約できたことになるが、そのコストの肩代わりをするのは現場である。小学校教員の善意を搾取することで初めて可能になった教育改革というわけである。

何を取り、何を犠牲にするか

以上見てきたように、近年の英語教育改革を特徴づけるのは、「低コスト優先、実効性後回し」である。 この構図をあらためて一般的な形で整理しよう。 以下の表を見てほしい。

表は、改革パッケージを、英語力向上への効果と2種類のコスト(財政的コスト・政治的コスト)の観点から類型化したものである。

当然ながら、英語力向上への効果は大きいほどよいし、財政的コストが小さいほど予算が節約できるという観点で望ましい。また、「政治的コスト小」は法的・行政的正当性の高さを意味する。無用な軋轢を回避できる政治的コストの小さい施策の方が望ましい。

 

安上がりで政治的リスクも小さいが効果は絶大なプランが図中のAである。しかし、こんな夢のような政策プランは現実的には存在しない。したがって、次のステップは、どの観点を優先し、どの観点を犠牲にするかである。

図のBとCは、英語力向上を優先し、かつ、財政的コストと政治的コストをそれぞれ引き受けるパタンである。

Bのように、 文科省が大きな権限を持つ教育機関(特に、学習指導要領で学習内容が規定されている公立の小中高校)に予算を大量に投下できるのなら効果的な施策は実施できる。

また、Cのように、権限が存在しない教育レベル(大学教育・社内教育)にまで「指示」をする覚悟があるならば、これも効果的だろう。 英語が必要な人だけに集中投資できるので、財政的コストも比較的小さいと考えられる。

あるいは、英語の授業時間数(必修単位数)を大幅に増やせば手っ取り早く英語力は向上するだろう。 また、英語ができなかった生徒を厳しく落第・退学させるような政策を強行すれば生徒は死に物狂いで勉強するかもしれない。

しかし、いずれも関係者から激しい抵抗が起きるのは間違いなく、相当の政治的リスクを覚悟しなければならない。他者をコントロールしようとする営みにはどんなものであれ基本的にコストが伴うことを忘れてはならない。

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