「不機嫌な隣国」韓国に向き合うためにいまわれわれが考えるべきこと

「異質な文明世界」がある、という前提

現下、日韓関係の険悪さは、既にデフォルト(規定事項)である。

文在寅(韓国大統領)の登場以降、日韓関係にはネガティブな材料だけが次々と積み重ねられてきたけれども、海上自衛隊対潜哨戒機が韓国海軍駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた一件もまた、既に零下30度に達していた日韓関係の「温度」を、零下40度や零下50度に下げるほどの意味しか持たなかったことになる。

折しも、文在寅は、現下の日韓関係に関して、「日本政府はもう少し謙虚な立場を持たねばならない」と指摘し。李洛淵(韓国首相)は、「日本は謙虚であるべきだ」と発言している。文在寅や李洛淵の発言に反映されているのは、植民地支配に端を発する様々な問題を韓国が納得するように落着させるのは日本の責任であるという認識である。

 

お互いに勘違いしていること

1990年代半ば、サミュエル・P・ハンティントン(政治学者)が著書『文明の衝突と世界秩序の再築』を通じて「文明の衝突」仮説を披露した際、彼が提示したのは、「西洋」、「ギリシャ正教」、「ヒンドゥー教」、「イスラム教」といった9つの「文明圏域」から成る世界のイメージであった。

この世界イメージの中では、日本は、「日本」として独立した文明圏域にあるとされていたのに対して、朝鮮半島は、「中国」文明圏域の一部として位置付けられた。

日本と朝鮮半島が互いに異なる文明圏域に属するという認識は、ハンティントンを遡ること40年前の1950年代の時点で、梅棹忠夫(生態学者)が彼の「文明の生態史観」学説の中で既に示唆している。

この認識は、近年でもロー・ダニエル(韓国出身政治経済学者)の著書『「地政心理」で語る半島と列島』に提示されている。梅棹もローも、中世封建制の歳月を経たか経なかったかが、文明圏域としての「日本」と「中国・朝鮮半島」の際立った差異であると説明しているのである。

もっとも、ハンティントンの仮説や梅棹の学説だけでは、南北分断後の「2つの朝鮮」が互いに異なる道程を辿った事情を説明できない。

金日成による建国以後、現在に至る北朝鮮では、専制による権威主義統治を続けてきたという意味で、「中国」文明圏域の様相が鮮明に表れる。

片や韓国では、文明の構造上、日本による植民地支配と朝鮮戦争後の米韓同盟の樹立の結果、「中国」文明圏域としての厚い底層の上に、日本、そして米国を含む「西欧世界」の2重の文明層が表層として薄く乗っていると説明できる。

従来、韓国政治の文脈では、右派勢力は、様々な政策展開に際して、その文明上の「薄い表層」、あるいは「鍍金」が剥がれ落ちないように腐心してきた。

そして、左派勢力は、日米両国を含む「西方世界」外国勢力に結び付いた右派勢力への対抗上、文明上の「厚い底層」、あるいは「民族主義の地金」を強調しようとする。

日米両国を含む「西方世界」同盟網への関与に充分な熱意を示さないばかりか、「金正恩の代言人」と揶揄される程に露骨な対北朝鮮融和を続ける文在寅の姿勢は、そうした左派政治勢力の意識を鮮烈に反映していよう。

現下の日韓関係における極度の冷却を招いたのは、日本と韓国が互いに「異質な文明世界」に位置しているにもかかわらず、日韓両国双方の人々が互いに「同質な文明世界」にあると錯覚したことにある。

そして、日韓両国が「同質な文明世界」にあるという錯覚は、地勢上の距離の近さや歴史上の因縁の深さによって、日韓両国の人々の心理に抜き難く定着しているのであろう。日本も韓国も、互いに自らの「常識」が通用する相手と思っているのが、そもそもの元凶なのである。

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