生き心地のよい町、よくない町
なぜ自殺の多い町と少ない町があるのか――。
その理由を明らかにしようとした予防医学者の岡檀は、徳島県の海辺の町、旧海部町(現海陽町)に注目しました。そこは全国でも突出して自殺率の低い町だったのです。そして、4年におよぶ現地調査で浮かび上がってきたのは、町民の独特な気風でした。
古代海民の拠点を意味する「海部」の地名をもつこの町では、住民は他人と足並みをそろえることに意を払わず、指示系統も統制機構もありません。個人の自由意志が最大限尊重され、人びとはゆるやかにつながっています。人に強制すれば「野暮」という言葉が投げつけられ、その言葉が強制や圧力を排除する一種の「魔除けの札」になっている、というのです。
そこで岡は、旧海部町が抑圧や強制という生きづらさを極力排除してきた、「生き心地のよい町」なのだと指摘します。
一方、自殺多発地域である山間部のA町の調査で浮かび上がってきたのは、勤勉さ、克己心、忍耐強さという住民の特徴でした。本来美徳とされるこのような気風が、A町では自殺の可能性を高める因子になっているのではないか、というのです(『生き心地の良い町』講談社)。
考古学の研究者である私は、この本を読んで強い衝撃をうけました。というのも、旧海部町の住民に「生き心地のよさ」をもたらしている生き方・思想こそ、日本列島の周縁の人びとが縄文時代以降も共有し、近代によって淘汰されてしまったはずの、縄文の思想にほかならないものだったからです。
「やれやれスピリチュアル系か」という声が聞こえてきそうですが、私がそう考えるのはもちろん考古学的な根拠があってのことです。2000年の時を超え、いまもなお生き続ける、縄文の思想をめぐる話におつきあいください。
現代に残る縄文の「気風」とは
北海道から沖縄まで日本列島を覆った縄文文化は、弥生農耕文化にとってかわります。しかしそのなかで、イレズミ、抜歯、洞窟埋葬といった縄文の習俗を遅くまでとどめた人びとがいました。それは列島周縁の北海道、南島、本土の海辺の人びと(海民)です。とくに九州北部の漂泊民である家船漁民は、明治時代になってもイレズミと抜歯をみせていました。
詳細は拙著『縄文の思想』をご覧いただきたいとおもいますが、日本列島に生き残った縄文性の探求という一風変わった研究のなかで、私はある事実に気がつきました。縄文の習俗を遅くまでとどめた人びとには、言語や文化を越えて共通する「気風」があるのです。
それは自由の尊重、社会とのゆるやかなつながり、売買を嫌って贈与すること、平等な分配などです。そのため第二次大戦前には、青森や京都など各地の漁村が「共産主義者の村」と呼ばれ、差別されていました。
この生き方は、縄文の思想に由来するものだったのではないか――そう考えていたとき出会ったのが岡の本です。旧海部町の気風とされたのは、そのまま縄文の習俗をとどめた人びとの気風にほかなりませんでした。
もし旧海部町の気風が、縄文の思想であり海民の思想であったとすれば、それは他の海辺の町でも認められてよさそうです。
驚くべきことに、全国市区町村で自殺率の低い自治体のトップ10は、すべて海辺の町で占められていました。新潟県から沖縄県に所在する「生き心地の良い町」は、旧海部町以外すべて「島」であり、海民の世界だったのです。