「絶滅」宣言からの復活
日本近海の島々において、かつてはおびただしい数で生息していたアホウドリ。太陽の光を浴びて飛翔する姿は、輝くようで美しく、“オキノタユウ(沖の太夫)”という異名でも知られている。
そんな彼らが絶滅の危機に瀕したのは、19世紀後半から20世紀前半にかけてのことだった。羽毛の採取を目的とした乱獲によって、実際に一時は「絶滅した」とされたほどだ。

しかし、20世紀の後半になって、伊豆諸島の鳥島で10羽ほどが「再発見」され、保護・繁殖活動が開始された。半世紀に迫るその努力が実り、鳥島での現在の繁殖数は5000羽を超えている。
その立役者が、当初はたった一人で保護活動に取り組み始めた長谷川博・東邦大学名誉教授(70歳)だ。長谷川さんは2018年11〜12月の第125回目の調査で、じつに42年間に及んだ活動に終止符を打った。

「再生」ともいうべきその保護・繁殖活動とは、いったいどのようなものだったのか。壊滅的に数を減らしたアホウドリは、どのようにして復活したのか。アホウドリに代表される海鳥たちはなぜ、存続の危機に陥っているのか──。
新聞の科学担当記者として、長谷川さんの鳥島でのフィールドワークに同行取材した経験をもつ筆者が、前・後編の2回に分けて、苦難の復活劇を振り返るとともに、いまだ改善されていない海鳥の危機的状況をリポートする。
再生を可能にした3つのターニングポイント
1976年からその保護・再生に携わってきたアホウドリについて、長谷川さんは、「アホウ」という侮蔑的な言葉が含まれる名称を廃止するよう提唱している。地球上でともに生きる仲間に敬意をこめて、「オキノタユウ」と言い換えることを提案しているのだ(「沖の大夫」は、山口県・長門地方に伝わる呼び名だが、ここでは混乱を避けるため通称を用いる)。
アホウドリの保護には、3つの転機があった。
第一は、言うまでもないことだが、長谷川さんが保護活動に乗り出したことだ。第二は、鳥島に新たな繁殖地としての「新コロニー」をつくったこと。第三は、鳥島で生まれたヒナを小笠原諸島に移住させるなど、繁殖地を広げていったことだ。
これら3つの転機を区切りにして、本稿では復活までの道のりを、アホウドリが再発見された旧コロニーを改善していく「回復期」(1976〜1991年)と、新コロニーに若鳥を誘引し、つがいを増やした「発展期」(1992〜2007年)、鳥島で誕生したヒナを小笠原諸島に移住させるなどした「拡大期」(2008年〜)に分類して話を進めていく。
なお、「コロニー」とは「集団繁殖地」のことを指す。集団繁殖、すなわち繁殖可能な多数の個体が集合していることがポイントで、実際に数つがいから10万つがい以上まで、コロニーにはさまざまな規模のものがある。
意外に感じるかもしれないが、アホウドリは、成鳥になると全長が94cm、翼開帳(両翼を伸ばした差し渡しの長さ)が2.15〜2.3mにもなる大きな鳥だ。北太平洋では最大の海鳥という。ちなみに、世界最大の海鳥はミナミシロアホウドリで、翼開帳では約3.5mを誇る。
アホウドリの体色は、白色に少し黒色が混じっている。嘴(くちばし)は比較的大きく、薄いピンク色をしているが、先端は青みがった白色を帯びている。
冒頭で述べたように、光を浴びて飛翔する姿が輝くようで美しく、地上を全身を揺すりながら歩くようすもまた愛らしい。基本的に「一夫一婦制」で、非繁殖期は北太平洋域で別々に活動していても、繁殖期にはコロニーでつがいになって暮らす。どちらか一方が死なないかぎり、一生連れ添うという。
産卵は年に1回で、夫婦で子育てをする。エサは、比較的浅い海中から魚などを捕獲している。

わずか50年間で1000万羽を殺戮
19世紀後半まで、アホウドリは亜熱帯以北の北太平洋の全域に生息していた。
6月から9月までの非繁殖期は、アメリカの西海岸やベーリング海などで過ごし、10月から5月までの繁殖期に、日本列島の南海域や台湾周辺の無人島などでコロニーをつくっていた。特に、最大のコロニーがあった鳥島には、100万羽もが集っていたという。
彼らの、軽く、保温性に富んだ羽毛は、当時の日本の貴重な外貨獲得源として狙われた。各地のコロニーに侵入した日本人は、アホウドリを次々にこん棒で殴り殺し、その羽毛を剥いだ。
長く無人島で繁殖していたために、人間を「天敵」と思っていなかったのか、人が近づいてもアホウドリは逃げなかった。わずか半世紀ほどで、じつに1000万羽もが殺戮された。
これに類する話として、ベーリング海に生息していたステラーカイギュウが知られている。彼らもまた、動作が鈍く、人に対する警戒心を持ち合わせていなかっため、肉や毛皮などを狙った人間に乱獲され、1741年の発見から30年も経たないうちに絶滅したとされている。アホウドリもステラーカイギュウも、人との遭遇がなければ違った運命を生きていただろう。
