日本人であることを強要された「元BC級戦犯」の苦悶

いつ命を奪われるか分からない日々に…
栗原 俊雄 プロフィール

故郷にも帰れない

さて冒頭で見た通り2015年夏、李さんは今は公園となった巣鴨プリズン跡を訪れた。筆者の取材の依頼に応えてくれたのだ。公園はコスプレをした若者たちが集う場所で、この日もにぎわっていた。

巣鴨プリズン跡近くにそびえるサンシャイン60ビル(右)

「出所して、故郷に帰ろうとは思わなかったのですか?」。そう問うと、李さんは60年前を思い出すかのように、遠い目をした。

「1日でも早く帰りたかった。でも仲間に聞くと「『対日協力者として風当たりが強い。とても住めない』」と言われて、あきらめたんです」

日本に残ったものの身よりはない。仕事のあてもなかった。「戦犯」のレッテルは重く、就職もままならない。生活苦で出所した仲間2人が自殺した。

 

李さんたちは、タクシー会社の創業を目指した。肝心の資金はない。支援者が現れた。東京・江戸川区の耳鼻咽喉科開業医、今井知文さん。すでに日本人戦犯の支援をしていた今井さんは、巣鴨で李さんと面識があった。「日本人として恥ずかしい」と思い、200万円を李さんたちに無担保で貸した。国家公務員6級職(後の上級職)の初任給が8600円の時代である。200万円は、自宅を担保に入れて工面したものだった。

李さんたちは懸命に働き、借金を返済した。今井医師は1996年、92歳で永眠した。「自分の息子のように助けてくれました」李さんはそう振り返る。

日本人として「戦犯」になった李さんたちの同進会は、日本政府に補償を求めた。だが政府は動かない。65年に日韓基本条約などが結ばれると、日本政府は「補償問題は解決済み」と、いっそう頑なになった。歴代首相に要望書を出し、首相官邸前での座り込みも行った。国会議員への陳情も。しかし、事態は改善しなかった。

同進会は、司法による問題解決を求めた。1991年11月。李さんら7人が日本政府に謝罪と計1億3500万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。「戦時中日本人として国の責任を肩代わりさせられ、戦後は日本国籍を失って補償を受けられないのは正義・公平の原理(条理)に反する」と主張した。日本にとって都合のいいときだけ「日本人」として利用し、都合が悪くなると「日本人ではない」として切り捨てる。そういう態度は、不正義、不条理であり、人道に反するものだ。そういう主張である。

96年9月、東京地裁は原告の請求を棄却した。判決は一方で「わが国の元軍人・軍属、遺族に対する援護措置に相当する措置を講ずることが望ましい」と指摘。ただ「どの範囲でいかなる救済を行うかは国の立法政策に属する」とした。

東京高裁も原告の訴えを退けた。ただ、注目すべきは「戦犯者控訴人らについてみれば、ほぼ同様にあった日本人、更には台湾住民と比較しても、著しい不利益を受けていることは否定できない」という指摘だ。

日本政府は1987年、台湾人戦没者と遺族に慰問金を支給している。だが、朝鮮出身者にはしない。高裁は、同じ植民地出身者でありながら日本政府が差別していることを指摘したのだ。その上で「国政関与者において、この問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待される」とした。

そして99年12月、最高裁で敗訴が確定した。李さんたちの被害を認定しつつ、「立法府の裁量的判断にゆだねられるものと解するのが相当」とした。

被害を認定しつつ、解決は立法にゆだねる。李さんたち植民地出身の「戦犯」だけでなく、民間人の空襲被害者やシベリア抑留被害など、戦後補償訴訟で裁判所が繰り返し述べている「立法裁量」論である。

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