欽ちゃんが語る、あの頃
「1969年は、『テレビがテレビを始めた年』でした。大雑把に言えば、それまでのテレビは、映画あるいは舞台の真似でしかなかった。実際、お笑い番組は、舞台と同じように台本を書いて朝から晩まで稽古をして本番に臨んでいました。
しかし、番組を作る側にも出る側にも、『テレビにしかできないことがある。段取りだけ決めて、あとは本番でいいんじゃないの』と考える人が現れ始めた。僕もその一人。コント55号は、常にぶっつけ本番でした」
そう語るのは、萩本欽一さんである。
テレビバラエティの新しい幕開けとなったのが、'69年4月に始まった『コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!』である。人気を集めた名物企画は「野球拳」だ。
萩本さんは行司役で、坂上二郎がゲストの女性タレントらとじゃんけんをして、負けたほうが一枚ずつ脱いでいく。女性が脱いだ服は、その場でオークションにかけられた。
夜8時台にもかかわらず、お色気満点。「低俗だ」という批判の一方、番組名のままに、7月には裏番組の大河ドラマ『天と地と』を抜く高視聴率29.3%を獲得した。
「この番組は映画や舞台ではできないエンターテインメントでした。誰も想像しないものを作ったと思います。この企画の登場により、アドリブでやるという番組が成り立つようになった。各局のディレクターたちは勇気を持ったと思います。
『あれよりは低俗じゃないから大丈夫』って(笑)。55号としても学ぶことがありました。ある種の番組作りの定義になったんです。テレビは映画や舞台でやったら怒られるものが、面白いんだって(笑)。
のちに多くのテレビマンが『子どものときにこっそり見るのが楽しみだった。同時に、テレビの可能性を見た気がしました』と僕に話してくれました。
『見てはいけない』と言われているからこそ、見たい。これがテレビのある種の魅力。その意味でも果たした役割は大きい」(前出・萩本さん)
野球拳が大河ドラマを超えた。楽しければ形にはこだわらなくていい。『裏番組をブッ飛ばせ!!』はそう視聴者に教えてくれた。'69年当時の時代背景について、法政大学教授(メディア学)の稲増龍夫氏はこう解説する。
「'47年~'49年生まれの、いわゆる団塊世代が青春真っ只中の20代を過ごした時期です。そして、この世代が世の中のトレンドを作っていた。
彼らは、騒然としていた時代のなかで、今までの常識をぶち壊したい衝動に駆られていました。世代人口も多いので、その影響力はとてつもなかった」
若者たちは予定調和のないアドリブのようなリアルな笑いをテレビに求めたのだ。とはいっても、そうした内容を好まない世代も元気だった。
「テレビは時代感覚を反映するもの。'69年には新旧世代のせめぎ合いが存在していた。ですから、振り子のように王道の番組を求める視聴者も増えてくる。
そのため、この年に勧善懲悪モノの『水戸黄門』の放送が始まり、『肝っ玉かあさん』のような温かいホームドラマが高視聴率を記録したのでしょう」(稲増氏)
連続ドラマ『ザ・ガードマン』は王道の代表格。'65年にスタートした同作は'67年に視聴率40.5%を記録し、'69年にも37.4%の数字をキープしていた。
宇津井健、藤巻潤、中条静夫ら日本映画界の演技派たちが民間警備員を好演。彼らはスーツをビシッと着こなし、真面目で敬語を使う正義漢だった。それゆえ幅広い世代に愛された。
そんな『ザ・ガードマン』には敗戦の暗い雰囲気がまだ残っていたが、'69年には『サインはV』や『柔道一直線』もブームとなった。根性一辺倒だったスポーツものに恋愛が加わった。新しい時代の青春模様を描くジャンルのドラマが、10代の心を捉えたのだ。

そして、バラエティでは、革新的な番組が10月にスタートする。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』だ。
当時の二大人気司会者、大橋巨泉と前田武彦が進行役を務め、コント55号や藤村俊二をはじめ、朝丘雪路、うつみみどりらが次々と登場した。
90分間に100本以上のコントやギャグが披露され、その合間に登場するアニメキャラ「ゲバゲバおじさん」やハナ肇の「アッと驚く為五郎」も強烈だった。
巨泉はギャンブルをテレビに持ち込んだ。こっそりと楽しむものとされていた競馬や麻雀をバラエティのコーナーで取り上げた。
ほかにもゴルフ、釣り、ボウリングなど自分の趣味をテレビで披露。働くだけじゃない、年をとっても真剣に遊んでいいんだと、「大人の遊び」のイメージを変えた。
巨泉と言えば、パイロット万年筆のCM撮影現場で、まったくアドリブで「はっぱふみふみ」という言葉を生み出し、流行らせた。
これによって万年筆も売れて、パイロットは800人のリストラの予定を白紙に戻した。もはや面白ければ、言葉に意味すらなくてもよくなったのである。
10月からは『8時だョ!全員集合』も始まる。土曜8時で、巨人戦のナイター生中継や『コント55号の世界は笑う』という人気番組に挟まれながら、ザ・ドリフターズのコントはウケた。