「不都合な現実」をめぐる、科学とリベラルの対立の根本原因

「言ってはいけない」事実をどう扱うか

ポリコレ派の「言ってはいけない」という主張

1978年2月15日、アメリカ科学振興会の年次大会で講演を行なうために座っていた生物学者E.O.ウィルソンに活動家の女子学生が水差しに入った氷水を浴びせ、学生活動家たちが壇上に駆け上がってプラカードを振りかざし、「ずぶ濡れ(all wet)ウィルソン」とはやし立てた(all wetには「まったくの間違い」の意味がある)。こうして30年におよぶ「社会生物学論争」の幕が切って落とされ、その余波は現在もつづいている。

ワトソンとクリックが二重らせんの謎を解き、生命が4つの塩基の組み合わせによる暗号から生まれることが解明されて以来、遺伝学と結びついてダーウィンの進化論は大きくヴァージョンアップされた。これが「現代の進化論」だ。

ウィルソンは1975年に刊行した大著『社会生物学』で血縁淘汰(包括適応度)など新しい知見を駆使し、昆虫から鳥類、哺乳類に至るまで、すべての生き物の社会生物学的な基盤をまとめるという大事業に乗り出した。生き物の行動の根底には、進化の過程で「設計」された遺伝的なプログラムがあるのだ。

問題は、ウィルソンがこの大著の最終章を「ヒト─社会生物学から社会学へ」として、人間もまた他の生き物と同様に、その行動は遺伝的な基盤で決まっていると示唆したことだった。これがリベラルの逆鱗に触れたのは、男女の性差が遺伝によるものなら、どれほど「男性中心主義」イデオロギーを批判しても差別はなくならないことになってしまうからだ。

スティーブン・ジェイ・グールド(PC派)やリチャード・ドーキンス(進化論派)などの大物を巻き込んだ「PC論争」の詳細はウリカ・セーゲルストローレ『社会生物学論争史―誰もが真理を擁護していた』などに譲るが、最初はアカデミズム内の論争だったものが、やがて「政治(イデオロギー)と科学(エビデンス)の対立」へと変容していった。PC派が、進化論派に対抗するエビデンスを出すことができなくなったのだ。

リチャード・ドーキンス氏〔PHOTO〕gettyimages

その典型が知能の遺伝をめぐる論争で、行動遺伝学は一卵性双生児のデータからその遺伝率を7~8割と推計した。その根拠とされたのはイギリスの教育心理学者シリル・バートの1950年代の研究だが、バートの死後にそのデータが「捏造」だとの疑惑が持ち上がった。PC派はこれによって行動遺伝学という学問そのものが全否定されたと気勢をあげ、当初はマスメディアを巻き込んで優位に立ったが、やがて形成は逆転する。

バートがデータを捏造したかどうかには諸説あるものの、古いデータに正確性が欠けていたことは間違いない。そこで行動遺伝学者たちは、PC派の批判を受け入れたうえで、新たに収集した一卵性双生児の「正しい」データセットでも知能の遺伝率がきわめて高いことを立証したのだ。

 

PC派はやがて、行動遺伝学者が提示する膨大な「エビデンス」を否定することができなくなった。その結果、エビデンスがあろうがなかろうが、知能と遺伝の関係は「言ってはいけない」と主張するようになったのだ。

しばしば誤解されるが、行動遺伝学の主張は「遺伝決定論」ではない。身体的特徴と同様にこころも(ある程度)遺伝すると述べているだけで、それは「遺伝の影響はいっさい認めない」という「環境決定論(空白の石版)」への批判だ。こうした科学的態度に反論できないからこそ、PC派は「遺伝決定論」のレッテルを貼って糾弾し、黙らせようとする。

このようにして、最初は進化論派と同じ土俵にいたPC派は「科学」から脱落し、エビデンスのない政治イデオロギーへと堕していった。これは「科学」ではないのだから、「フェイクニュース」の類であり「(リベラルという)カルト」だ。

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