「ゆとり教育」とは何だったのか? 不毛な論争と偏見を振り返る

「ゆとり教育」論がもたらしたものの弊害
後藤 和智 プロフィール

とはいえ、寺脇の主張を見ると、「〈偏差値教育〉の追放」というところに目を奪われがちですが、寺脇はそれ以外にも、PTAの改革、生活科教育や職業教育など多岐にわたっています。

ただ、「学習内容の削減」や、スローガン的な「偏差値の追放」などは、教育界や経済界を中心に反発を生み出しました。

代表的な論客としてあげられるのが西村和雄で、西村は戸瀬信之らと共に『分数ができない大学生』(東洋経済新報社/ちくま文庫)などを刊行し、現代の大学、そして若者においていかに学力の低下が深刻化し、それが国力をそぎ落とすものであるかを盛んに述べました。

 

西村のほかにも、若い世代の学力が低下しているという「証拠」を示すデータが次々と出されてきました。

ただ、西村をはじめ、若い世代の「学力低下」を証明したと称する調査の多くは、私が『現代学力調査概論』という同人誌で批判したとおり、多くの調査において牽強付会(けんきょうふかい)や不適切な分析が見られるものでした。

例えば西村らの調査では、特定の調査について、平均点などではなく「満点をとった学生の割合」を使って中国や韓国の学生と比較してしまうということをやってしまっています(西村和雄、戸瀬信之『大学生の学力を診断する』(岩波新書、2001年)p.92)。

さて、そこで、西村などと共同歩調を取った書き手として、精神科医の和田秀樹がいます。

和田は、元々は『受験は要領』などの受験参考書に定評のある書き手でしたが、1994年に刊行した『シゾフレ日本人』(後に『「自分がない症候群」の恐怖』として文庫版も刊行)において、若者を中心とした日本人の価値観の変化、劣化を「シゾフレ化」として若者論に進出しました。

その和田が1999年に刊行したのが、その名も『学力崩壊——「ゆとり教育」が子どもをダメにした』。

ただ、同書の内容は、現代若者批判というよりも、そもそも「いじめ」の原因を寺脇の言う〈偏差値教育〉に求めることや、学習内容が削減されたことにより医師のレベル低下などの社会問題が生まれること、そして東京大学の問題など、こちらも比較的多岐にわたるものでした。

このように、寺脇のほか、当時懇意にしていた宮台真司や、当初は批判派だったが後に容認に転向した、日能研代表の高木幹夫といった推進派の議論は、1990年代後半から2000年代にかけて隆盛していた若者バッシングに乗る形で、反対派、そして若い世代が「劣化」しているという言説の圧倒的な大きさに押されて敗北したと言えます。

それは「ゆとり教育」「ゆとり世代」そして「ゆとり」という言葉の使われ方を見れば明らかでしょう。

〔PHOTO〕iStock

2人の「その後」

ただ、もうひとつ注目すべきは、寺脇と和田という2人の論客の「その後」です。

まず寺脇ですが、2000年代終わりにかけて、自分の言動の正当性を主張する書籍を相次いで出しています。

例えばほとんどが自分に近しい主張の人との対談で構成された『格差時代を生き抜く教育』(ユビキタ・スタジオ、2006年)や『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(扶桑社、2007年)、そして自身へのバッシングや、さらには社会学者などによる格差社会論に対して反論を試みた『さらばゆとり教育』『百マス計算でバカになる』(共に光文社ペーパーバックス)を出し、その後は官僚論を刊行し(『官僚批判』(講談社、2008年)、『文部科学省』(中公新書ラクレ、2013年)など)、近年は、現在の安倍晋三政権における保守色が強くなると、『教育の国家支配がすすむ』(青灯社、2017年)などと言った教育論が多くなります。

寺脇の議論は、『「憲法9条」問題のココがわからない!!』(すばる舎、2015年)といった少数の例外を除くと、概ね教育行政論と趣味の映画評論に限定されています。

他方で和田は、元々そのような傾向もありましたが、その後は広く社会について論ずるようになっています。

『テレビの大罪』(新潮新書、2010年)のようなマスコミ批判や『医学部の大罪』(ディスカヴァー携書、2013年)といった医療批判があったり、朝日新書から『この国の冷たさの正体』を出して「自己責任論」を批判したかと思えば、同年(2017年)にワックから『私の保守宣言』という右派論壇の焼き直しのような書籍を出していたりします。

そのほか『年代別 医学的に正しい生き方 人生の未来予測図』(講談社現代新書、2018年)のような健康法や通俗医療本、『「こうあるべき」をやめなさい』(大和書房、2018年)といった自己啓発書も盛んに出しています。

もちろん『改訂版「絶対基礎力」をつける勉強法』(瀬谷出版、2013年)などといった、物書きとしての原点である受験参考書も忘れてはいません。ちなみに和田は第5回「正論新風賞」の受賞者です。

若干の逸脱はありつつもその後は「ミスター文部省」という「昔の名前」で細々と活動を続ける寺脇と、他の論客凌駕する分量の多さと分野の広さで論客としていまなおめざましい活躍をする和田。この2人の現在は対照的です。

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