銀行が就職面接で採用してこなかった人材
厳しい寒さも幾分緩み、梅は旬を迎え、春の足音が聞こえ始めた。慣れないスーツ姿の学生を目にする機会が多くなる。2020年春採用に向けて、今年もまた就職活動の季節がやってきた。
近頃、商工中金の元職員と採用面接について話す機会があった。元職員は、こう明かした。
「私が務めていた当時、新卒採用の面接官を担当したのですが『こういう学生は落とせ』という指示が書いてある紙を人事担当から渡されたのです」
いわゆる面接の「NGワード」だ。そこにはこう書かれていたという。
「私はアイデアマンです」
筆者は、言葉を失った。採用面接では、大学時代のゼミやサークル、部活動の経験を披露し、「私はリーダーシップがあります」との自己PRは、いつの時代も決まり文句だ。
しかし、多くの銀行では「アイデアマン」は長らく不要な人材、正確に言えば「危険人物」とみなされてきたのだという。
思えば心当たりは数え切れない程にある。
例えば、銀行界では、臨機応変なアイデアと研ぎ澄まされた感性が求められる経営改善支援、事業再生に取り組む人材は、出世レースからことごとく外されている。
「貸出金利の低さだけの押し込み型融資、投資信託の回転売買、外貨建て保険商品、仕組み債、アパートローン、カードローンの販売になぜ勤しまないのか」と、収益貢献をしない「逸脱者」と冷ややかな視線を浴びている。
「アイデア」とは、過去を見境なく踏襲することへの否定や疑問であり、未来に挑む挑戦や革新、科学の源泉である。
なぜ、銀行は挑戦や革新を考えるアイデアマンを排斥しようとするのか。
その原因は、長らく続いた銀行のビジネスモデル上の構造的特徴に認められる。
右肩上がりで資金需要が拡大した高度経済成長時代以降、銀行は、短期で資金を集め、長期で運用することによる金利差(長短金利差)だけで、収益を確保することができた。ゆえに、より多くの預金を集め、貸出残高や国債運用を拡大させるだけで稼ぐことができたのだ。
「装置産業」と言われ続けた所以はここにある。
規模だけを追求していればよい。営業ノルマに従って組織に従順に動く機械人間がいればよく、「そもそも我々は一体、誰に対して、何をしているのか」などという、働く意味や生きる意味などの哲学的思考をしてもらっては困る。
そして装置産業を破壊しかねない「アイデアマン」、すなわち多様性の芽は先んじて予防的に摘まなければならなかったのだ。
しかし、プラザ合意以降の円高で事態は一変した。製造業が海外に生産拠点を移すようになり、総資金需要が減少した。追い打ちをかけたのが長期のデフレに伴う、超低金利時代だ。これにより肝心の「長短金利差」のビジネスモデルが崩壊した。
他方、リーマン・ショック後に経営難に陥り、金融円滑化法で返済猶予を受けた中小企業は40万社とも言われる程にふくれあがった。
当然、経営改善支援や事業再生などの業務が急務なのにもかかわらず、「逸脱者」扱いされ、経営資源は今も投下されないまま放置されている。
このことが銀行における与信費用上昇の一因となっている。「実現性の高い抜本的な経営改善計画」の多くは問題を先送りするウソ、方便であったのだ。