諦めないから愚痴が出る
これも一種の諦めのよさではないかと思うが、フランセーズは買えないモノは欲しがらない。女性誌に載っているシャネルのバッグを買うために、せっせと積立貯金をする女性はいない。
彼女たちは自分の給料では、シャネルのバッグになんてとうてい手が出ないと諦める。シャネル・バッグが欲しいかと聞かれたら、プレゼントしてくれるのですかと、彼女たちはいうにちがいない。そしてこう思う、バッグだけシャネルでも、それにふさわしい洋服がない、靴がないと。
シャネルのスーツと靴を買ってくれる男性と出会うチャンスは、彼女たちにもある。稀にしかない話ではあるけれども、シンデレラ・ガールもいるかもしれない。ところが、朝晩見慣れた鏡の中の自分に、そんな奇跡がおこるはずがないと諦める。
私たちは、諦めないから愚痴がでる。子供の成績が思わしくないから塾にやる。高い月謝を無理して払っているのに、どうして勉強ができるようにならないのと、愚痴をいう。フランセーズたちは子供の寝顔を見て、諦める。それでも彼女たちは、ただで諦めているわけではない。トビがタカを産むことなんて、あるはずがないじゃないかと納得する。
勉強ができる子だけがいい子ではないし、シャネルのバッグだけがハンドバッグじゃない。ないモノねだりをするくらいなら、さっさと諦め、かなう範囲でいいモノをさがせばいい。それこそフランスの英知、デカルトもいっている合理主義というものだ。
むずかしい話はよして、諦めと合理主義の結びつきについて考えてみよう。デカルト的にいえば、考え方には四種類ある。
② 問題を最小部分に分析し、単純で認識しやすい要素を見つける。
③ もっとも単純なものから複雑なものに、思考を変化させる。
④ 十分に再検討する。
具体例でいうと、たとえばブティックで気に入ったハンドバッグに出会ったとして、
② ハンドバッグの値段、実用性はどうか吟味する。
③ 持っている服とのコーディネートを考える。あるいは、自分の給料に占めるハンドバッグの値段を考えてみる。
④ ①〜③をよくよく検討する。
一連のプロセスを踏むことによって、大方の場合、買わないという結論に至るにちがいない。諦めに合理性があるならば、物欲鎮静剤としての効能は抜群である。