まず、声がいい。このテキストを読むとき、彼女のコメントの部分は、ぜひあの澄んだ、涼やかな声で脳内再生してほしい。もちろん、姿もいい。心の深部と表情が直結したような、嘘のない瞳。無垢と成熟が、最高のバランスで混在している。そこから発せられる言葉は、まるでピアノの独奏のよう。誰とも似ていない、彼女だけの豊かな人生を奏でていく。

苦しいのは自分だけじゃない

 宝物のような〝時間の記憶〞がある。

9歳から水泳を始め、16歳で芸能界にスカウトされるまでの7年間、ゆり子さんの日常は、ずっと〝泳ぐこと〞とともにあった。一日平均1万メートル。10キロの距離を、黙々と、ひたすら泳ぐ。

「水泳って、自分しか闘う相手がいないスポーツなんです。並んで泳いでいても、泳いでいる最中は周りの人は目に入らないし、誰かと会話ができるわけじゃないし、そもそも息が苦しいし。たとえば泳いでいる途中に足がつってパニックになったら、溺れ死んでしまうことだってある。『どうして私はこんなに必死で泳いでいるんだろう?』って、いつも思ってました(苦笑)。泳ぐことの何が面白いのか、まったくわからない。そのくらいつらかった」

 

 水泳を始めた最初の一年は、泳ぐことも楽しかった。膝周りの関節が柔軟だったお陰で、スイミングスクールに通い始めて一年も経たないうちにジュニアオリンピックに出場。当時は、どんどん記録が伸びることが純粋に面白かったそう。

「でも、それも最初の一年だけ(苦笑)。水泳は個人競技ですが練習は団体。20人くらいが一緒に同じレーンで泳ぐのですが、例えば50メートルを20本のインターバルなら全員がベストタイムプラス1秒で泳がなければいけない。連帯責任で全員が一本追加される。もし自分がクリアできなかったら、みんなに迷惑をかける。もしくはその逆もあるわけで、誰をも責められない。自分がベストをつくしてあとは仲間を信じるしかないんです」

 
 そんな過酷なトレーニングを経験することで、彼女は、仲間を信じる強い心と、人の頑張りを尊敬し讃える崇高な精神を、わずか10歳で身につけることができた。

「幼心に、〝苦しいのは自分だけじゃないんだ〞ってこと、〝自分には心から信じられる仲間がいるんだ〞と思えたことは、私にとって、宝物のような経験になりました。肉体的にはつらかったけれど、嫌な思い出ではまったくない。あのときのことを思い出すと、本当に宝石みたいなキラキラとした透明な感情が、そのまま蘇ってきます」

 
 肉体的な限界を超えようと思うとき、そこには必ず精神の助けが必要になる。水泳を通してゆり子さんは、普通の生活を送っていてはなかなか体験できない、〝精神の高み〞に辿り着いたのかもしれない。

「いい仲間といいコーチに巡り会えたし、今の自分の基盤はすべて水泳でできていると言っても過言ではありません。今でも、〝あの過酷な日々を乗り越えたんだから、この先どんなつらいことも乗り越えられるはず〞っていう自信はあるし(笑)」