2019.03.28
# 野球

独白!監督4年で3度の日本一 工藤公康が語る苦悩と真実

「正しさ」より「幸せにする言葉」を
工藤 公康 プロフィール

果された約束

王監督には、監督としての後ろ姿を見せていただきました。

96年5月のこと、日生球場で負けた後に事件は起こりました。私たち選手のふがいない試合に怒った一部のファンが、帰りのバスに生卵を投げつけたのです。

そのとき、バスの中でただ前を向いていた王監督の姿が、いまでも目に焼きついています。ホテルに戻っても、選手に対して何一つ文句も愚痴も言うことはない。

そんな姿を見たとき、「申し訳ない!」「何やってんだ、俺たちは」と思いました。

この人を男にしなくてはならない。何のためにここにきたのか。

そうして99年。リーグ優勝し、日本一になり、王監督を胴上げすることができました。

根本さんの存在、そして藤井の存在がなければ、夢はかなわなかったと思います。日本一になって、根本さんとの約束も果たすことができました。

別れと、ON対決と

99年オフ、再びFAで読売ジャイアンツへ移籍することになりました。

ダイエーから出るか出ないかで悩んでいるとき、王監督に相談させていただき、時間のないなか、これからの私のことを親身になって考えていただきました。

 

あのときのことは、いまでも感謝してもしきれないほどです。

そして、ファンの皆様にも、残ってくれ、出ていかないで、と17万6300もの署名をいただき、心から感謝しています。

ほとんどの方に、はがきにてお礼を出すことができましたが、一部の方は住所が変わっていたり、残念ながら読めなかった署名もありました。

2000年に巨人に入り、リーグ優勝して、日本シリーズでダイエーとの夢の対決となったとき、根本さんの言葉を思い出しました。

「野球界のために、ON対決を!」

根本さんの夢がかなって本当によかったと、一人胸のうちで喜びました。

ただ、藤井の死は自分自身受け入れられず、葬儀が日本シリーズ前だったこともあって複雑な思いで戦うことになりました。ダイエーのベンチを見たら泣いてしまいそうな思いをこらえ、試合に集中したくてもできない自分がいたのも確かでした。

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