衰え廃れると、人は醜くなるのだろうか。不道徳で不健全なことは悪だろうか。迷ったり苦しんだりすることは、愚かな行為なのだろうか ——? 美輪さんは、そんなすべての疑問に明確に回答する。答えはすべて「NO」であると。
良いことと悪いこと。幸福なこととつらいこと。美輪さんの人生には、正と負の出来事が、まるでシーソーのように交互に訪れた。“退廃の美”そのものである美輪さんが、今あらためて語る “人の世を生き抜く極意” とは?
FRaU 2017年 7月号掲載「美輪明宏が語る人の世について」インタビュー〈第4弾〉公開!
『「充足感の成分は泡」美輪明宏が考える “幸福” とは?』はこちら
私の “お友達” 論

最近は、何かと「SNSでお友達が増えた」とかっていうでしょ? あれは、日本語の使い方としては間違っています。“お友達” じゃない。あれは単なる “知り合い” です。だって、相手の生活に入り込んでいるわけじゃないし、行き来して、助け合ったりしているわけじゃないでしょう? ただ、文字の上でやりとりしているだけだから、体温も雰囲気も醸し出すオーラも、もっといえばその人の人柄すらわからないまま、「会いましょう」となって殺されてしまったり……。単なる知り合いを、お友達だなんて錯覚を起こすからえらいことになるんです。
考えてもみてください。100人知り合いができたとします。困った時に助けて欲しいとか、どこかに一緒に出かけたいとか、あなたは色々都合のいいことを想像します。こういう時、人間は不思議と、いいことばっかり考える。まるで第九の合唱のように、みんな揃って楽しくできたらいいな、と。自分が100人に相談することは想像しても、100人から相談を受けるということは考えていないのです。
自分が病気になった時、困った時、失恋した時相談相手が欲しい。頼れる人が欲しいと思う。でも “お友達” 認定したら、向こうからもそう思われているということなのです。いけません。“正負の法則” を思い出してください。世の中、自分に都合のいいことばかりは起こりません。人付き合いは、親しき仲にも礼儀あり、付かず離れずの腹六分ぐらいがちょうどいいと、私は思っています。
もし、お友達でも恋人でも、同じレベルで、会話のキャッチボールができる相手と出会えたとしたならば、それだけでもかなりの “正” なる出来事。お友達の数を増やすことより、そうやって質の良い、いい影響を与えあえる人間関係を築けるよう、日々努力することが大切なのではないでしょうか。