漫画家で小説家の折原みとさんは、長年病院の取材をするなど、多くの闘病中の人たちに話を聞いてきた。姉と共同で古民家経営をしている茨城で、あるとき一人の女性の遺作展を開いた。それは名のある作家ではなく、元教師である女性の作品だった。
ふたりにひとりが罹患する時代
一冊の本がある。『がんの奥さんでごめんね』。
末期がんに前向きに立ち向かった妻と、その妻に寄り添い続けた夫との、二人三脚の闘病の記録。そして、最愛の妻に先立たれた後、残された夫が絶望の淵からどうやって心を立て直していったかを、克明に記した奮闘記だ。
この本の著者は、プロの作家ではない。茨城県内の公立小中学校で定年まで教師をつとめ、現在も教育活動に携わる岩本泰則さん(71)だ。妻の英子さんが亡くなって4年目となる昨年の春、岩本さんは3年がかりでまとめ上げたこの本を上梓した。
国民のふたりにひとりががんになる可能性があると言われている現在、自分自身が、大切な家族が、がんに罹患することは他人事ではない。がんに限らず、もしも家族が命にかかわる病気になったら……。精神的にも肉体的にも辛い闘病に、どう寄り添っていけばいいのだろうか。最愛の人を失くした時、どうすれば前を向いて歩きだすことができるだろうか。岩本さんの渾身の体験記を踏まえて、考えてみたい。
50歳のときにみつかったがん
岩本泰則さんと、妻・英子さんとの出会いは、昭和46年に遡る。同期の小学校教諭だったふたりが、同学年を受け持ったことが始まり。教育に対する信念を同じくしていたことから心を寄せ合い、25歳のときに結婚した。結婚後も共に教師として働き、一男一女をもうけ、英子さんは仕事と家事、育児を両立させながらパワフルに毎日を送っていた。そんな英子さんを病魔が襲ったのは、1997年、50歳の時だった。
ある日ふと、右わき下に見つけた小さなしこり。検査の結果、リンパ節転移の「乳がん」であると診断された。右乳房と数十個の腋窩リンパ節を摘出し、抗がん剤治療を受けた結果、健康を取り戻して教職にも復帰する。
が、57歳で左乳房にがんが見つかり、再び闘病。迅速な治療の甲斐あって、二度目の危機も乗り越えた。その後、義母や両親の介護のためもあって、58歳で退職。3人の親を見送りながらも、趣味の絵画や民生委員のボランティアに力を注ぎ、充実した日々を過ごしていた。
だが、最初の発病から16年が過ぎた頃、再度、英子さんの身体に異変が起こった。一見風邪の症状のように思えた咳、発熱、息苦しさ。強い不安にかられてCT検査を受けると、胸に1リットルも水が溜まっていた。恐れていたがんの胸膜転移だった。
「乳がんが転移、がん性胸膜炎。がんの性質が悪く、抗がん剤が効かなければ9月まで持つかどうかわからない」
2013年、5月。医師からそう告げられた時、岩本さんは頭の中が真っ白になった。「9月まで」という余命宣告は、英子さんには伝えることができなかった。