「ふたりで話し合って、納得して受けた治療だから、後悔はしていない」夫の気持ちを思いやってか、英子さんは気丈にそう言ったという。しかし、岩本さんの心には大きな後悔が残った。どうしてあんな治療を選択してしまったのか。妻に無駄な苦痛を与え、かえって命を縮めてしまったのではないか……と。
 
大切な人が重い病気で命の危機にさらされた時、どんなことをしてでも助けたいと思うのは当然のことだ。だが、その「藁にもすがりたい気持ち」が「落とし穴」となってしまうこともある。

莫大な費用のかかる免疫療法を受けることを、当時、岩本さんは娘と息子には詳しく話さなかった。言えば反対されると思ったからだ。娘婿は医療関係の仕事に携わっていたが、相談することもできなかった。治療を続ければ続けるほど悪化する病状に不安を抱きながらも、明日への希望にしがみついた。「数%の人にしか効果はない」とわかっていても、「自分の妻はその数%に入るはず」と信じたかった。それが、追い詰められている人間の心理なのだろう。
 
がんの代替療法や民間療法などの是非を問うつもりはない。効果がある場合もあるかもしれないし、効果の有無にかかわらず、それが心の支えになることもあるだろう。しかし、渦中の当事者は、時に正しい判断力を欠いてしまうこともある。家族の病気に寄り添う上では、第3者の客観的な意見にも耳を傾け、立ち止まって冷静に状況を見極めることが必要だ。苦い後悔をしないために……。

芽生えた静かな「覚悟」

5月にがんの胸膜転移が発覚して以来、岩本さんご夫婦は手を取り合って病と闘ってきた。希望と絶望の間を行きつ戻りつ、明日を信じて懸命にあがいてきたのだ。しかし12月末に「最後の賭け」だった免疫療法を断念すると、夫婦の心には、静かな「覚悟」が生まれた。

年が明けると、大学病院で抗がん剤治療を再開。決して生きることをあきらめたわけではないが、ふたりは、今までよりも穏やかな気持ちで、「その時」に向けて心の準備を始めていた。
 
「お父さん、いろいろありがとう。心から感謝します。お父さんのそばに長くいられるようがんばります」

「長生きしようね。もっともっと楽しまなくちゃ。母さんに寄り添うことはひとつも苦しみじゃないから」
 
2月半ば、入院中の英子さんと岩本さんとの間で交わされたメールだ。
 
一時は退院して家で過ごすことができたものの、3月半ばに再び入院。それが、最後の入院となった。

地元茨城の風景を、英子さんはこよなく愛していた 撮影/折原みと

2014年4月3日。痛みを和らげるためにモルヒネの点滴を受け、朦朧とする意識の中で、英子さんは夫に精一杯の声で言った。

「がんの奥さんでごめんね」

「ううん、そんなことないよ」

岩本さんは、その後の言葉が継げなかった。

その夜、夫の手を握りながら、英子さんは眠るように息を引き取った。結婚して41年、濃密なふたりの人生だった。
 
「最大の同志」「心の居場所」そんなかけがえのない存在を失った岩本さん。66歳という年齢で、最愛の妻に先立たれた夫は、どうやって生きる希望を取り戻していったのだろうか。その回復と再生の記録は、後編で詳しくご紹介したい。

後編「最愛の妻を病気で失くした夫が、絶望の淵から立ち上がった道のり」はこちら